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2015年1月15日木曜日

希望を失った人々からのメッセージ

Chris Hedges
2015年1月11日
"Truthdig"
フランスの風刺新聞シャルリー・エブドで起きたテロ攻撃は、言論の自由の問題ではない。過激派イスラム教徒の問題ではない。作り話の文明の衝突を示すものでもない。生きるための資源を奪われ、希望を持てない、世界中の虐げられた人々が、先進工業国の欧米で、豪奢で怠惰な生活を送る恵まれた人々により、支配され、見くびられ、嘲られるのに対して、虚無的な憤怒で食ってかかるディストピア出現の兆しだったのだ。
我々は希望を失った人々の憤怒を生み出してしまったのだ。略奪的なグローバル資本主義と帝国という悪が、テロという悪をもたらした。ところが、その憤怒の根源を理解し、改善しようという取り組みの代わりに、我々は、高度な治安と監視体制を構築し、標的暗殺や弱者に対する拷問を認める法律を制定し、現代の軍隊と、世界を武力で制覇する為の工業戦争という機構を作り上げたのだ。これは正義の問題ではない。対テロ戦争の問題ではない。自由や民主主義の問題ではない。表現の自由の問題ではない。貧しい人々を犠牲にして生きるため、恵まれた人々が仕組んだ狂気の争奪戦問題だ。そして貧しい人々はそれを知っている。
私と同様に、ガザ、イラク、イエメン、アルジェリア、エジプトやスーダンや、パリやリオン等のフランスの都市を取り巻く、気のめいるような、バンリューとして知られている、貧しい北アフリカ移民を収容している、隔離された公営住宅地域で時を過ごせば、金曜日、フランス警察との銃撃戦で殺害されたシェリフ・クアシとサイド・クアシ兄弟を理解し始められよう。こうした惨めな地域では雇用はほとんどない。人種差別は、あからさまだ。特に、何の目的もないと感じている男性の間では絶望がはびこっている。通常、身元確認時に、警察が行う対移民ハラスメントは、ほとんど絶え間がない。私が乗っていたパリ地下鉄の車両から、北アフリカ移民を、警官がはっきりした理由もなく引きずり下ろして、プラットフォームで、容赦なく打ち据えたことがあった。フランスのイスラム教徒は、フランスにおける囚人の、60から70パーセントを占めている。麻薬とアルコールが、妖精セイレーンの様に、貧しいイスラム教徒コミュティーの痛みを鈍らせるべく、彼らを手招きする。
フランスに暮らす500万人の北アフリカ人を、フランス人は、フランス人と見なしていない。しかも、恐らく彼らが生まれ、短い間暮らしたであろうアルジェ、タンジールやチュニスに戻ると、彼らは、よそ者、のけ者扱いされる。二つの世界の板挟みとなり、彼らは、二人の兄弟がそうだったように、無目的となり、軽犯罪や麻薬へと漂流する。
絶対的で純粋な理想の擁護者、聖戦戦士になるのは、夢のような改宗で、力や重要の感覚をもたらす、一種の転生だ。これは、赤い旅団や、かつてのファシスト党や共産党メンバーにとって、そうであったと同様、イスラム教聖戦戦士にとっても、おなじみだ。ユートピアの到来を告げるのを約束する、何らかの絶対的理想に改宗した人々は、奇怪な陰謀論に満ちたマニ教の歴史観を取り入れるのだ。反対勢力や、無害な勢力すら、隠された悪意があるとされる。改宗者達は自分達が、善と悪、純粋と不純に分けられる二元世界に暮らしているのだと思い込む。善と純粋の擁護者として、彼らは自らの被害者意識を聖別し、あらゆる神などを信じない人々を悪魔化するのだ。彼らは自分達は歴史を変えるべく選別されたものだと信じてしまう。そして、彼らは、他の信仰体系や人種や文化に属する人々を含め、世界の汚染物質の洗剤として見なされる、超マッチョな暴力を奉じる。それこそが、反移民の国民戦線指導者マリーヌ・ルペンの周辺に集まるフランス極右が、ルペンが、絶滅したいと語っている聖戦戦士と、一体なぜ非常に多くの共通点を持っているのかという理由だ。
絶望に落ち込み、イスラエルの巨大な野外刑務所、ガザに閉じこめられて暮らし、コンクリートのあばら屋で一部屋、10人で眠り、水道水が有毒なので、毎朝難民キャンプの泥だらけの通りを、水のボトルをもらうために歩き、仕事は無く、家族は飢えているので、わずかな食糧の為、国連事務所で行列し、イスラエルによる何百人もの死者をもたらす、断続的空爆に苦しめられると、残されたものは宗教しかない。一日に五回行われるイスラム教の祈りだけが、自分の立場や、意味の感覚、そして最も重要なことに、自尊心の感覚を与えてくれるのだ。そして世界で恵まれた人々から、自分に尊厳を感じさせてくれるものを嘲られれば、はっきりしない憤怒で対応するしかないのだ。自分や周囲のほとんど誰も反撃する力がないと感じて憤慨した際に、こういう憤怒が起きる。
パリを本拠とする風刺週刊誌シャルリー・エブドの預言者の漫画は、不快で子どもじみている。ユーモアのあるものは皆無だ。しかも、彼らは、グロテスクなイスラム教徒に対する二重基準を暴露した。フランスでは、ホロコーストを否定する人や、アルメニア人虐殺を否定する人は、一年の懲役となり、60,000ドルの罰金を支払わされる可能性がある。フランスで、シャルリー・エブドがイスラム教をからかったのと同じ様に、ホロコーストをからかうのは犯罪行為だ。フランスの高校生は、ナチスによるユダヤ人迫害について学ばされるが、情報源によれば、100万人以上とするものものある宗主国フランスに対するアルジェリア独立戦争でのアルジェリア人の死亡者を含め、フランスの大規模な残虐行為については、生徒達は教科書でほとんど何も学ばない。だフランスの法律は、顔を覆うレースを被り、全身を覆う女性用の衣服、ブルカと、目の為の細い隙間しか開いていないかぶりものニカブを公共の場で着ることを禁じている。女性が公共の場で、こうした衣服を着ると逮捕され、約200ドルの罰金を科され、社会奉仕活動を強いられる。フランスは、昨年夏、イスラエルが毎日のガザ空爆を行い、何百人もの民間人死者をもたらした際、パレスチナ人支援集会を禁じた。イスラム教徒に対するメッセージは明らかだ。お前たちの伝統や歴史や苦難など重要ではない。イスラム教徒の言い分は聞いてもらえないのだ。ジョー・サッコは、ガーディアン紙に描いた絵でこの点を主張する勇気を持っていた。そして、サッコが指摘した通り、もし我々がこうした主張を聞き取れなければ、我々は、果てし無く、国家テロとテロの応酬をすることになる。
“自由が、人々の最も神聖な観念を侮辱し、卑しめ、嘲る自由を意味するというのは、悲しい状態です”カリフォルニア州に住むアメリカ人イスラム教学者ハムザ・ユスフが電子メールで書いてきた。“ラテン系諸国には、被告の母親が彼が殺害した相手に中傷されていた場合、殺人をしても人は無罪になる国があります。私はこれを、何年も前にスペインで見たことがあります。殺人に弁解の余地はありませんが、これは、もはや欧米では何の意味もない、名誉という観点から、物事を説明しています。アイルランドは、そうしたものの一部をいまでも維持している欧米の国であり、アイルランドの決闘法が、南北戦争時のアメリカ合衆国で、最後に決闘を非合法化した州、ケンタッキー州でも用いられていたのです。決闘はかつて、名誉が、人の魂の中で、何か奥深いことを意味していた時代、欧米では極めて著名でした。現在我々は、信仰心の厚い人にとっては、彼なり彼女なりの信仰に対する攻撃に比べれば、さほど重要ではない、人種的中傷以外の、あらゆるものに対し、侮辱されたと感じると感じることを許されていないのです。イスラム諸国は、皆様も良くご存じの通り、いまだに恥と名誉という行動基準に支配されています。宗教は極めて重要です。見当違いの馬鹿共[新聞社に押し入った銃撃犯]には、決して共感しないが、嘲る連中にも全く連帯感はないので、‘私はシャルリー’というツイートやポスターで悲しい思いをしました。”
あらゆるものを同等に標的にしているという主張にもかかわらず、シャルリー・エブドは、2008年に、反ユダヤ主義と見なされた記事を理由に画家とライターを首にしていた。
9/11攻撃から間もなく、パリで暮らし、ニューヨーク・タイムズの記者として働いていた私は、北アフリカからの移民達が窓をレンガで塞いだアパートに暮らしている灰色の公営団地、ラ・シテ・デ・4,000を訪れた。ゴミが吹き抜け階段に散らかっていた。スプレーで描いたスローガンは、フランス政府をファシストと非難していた。何台かの自動車の焼けた残骸に囲まれた駐車場では、三つの主な暴力団のメンバー達が、コカインとハシシを売っていた。数人の若者が私めがけて石を投げた。彼らは“くそくらえ、アメリカ合州国! くそくらえ、アメリカ合州国! くそくらえ、アメリカ合州国!”そして“オサマ・ビン・ラディン! オサマ・ビン・ラディン! オサマ・ビン・ラディン!”と。高齢ユダヤ人女性のアパートのドア脇に、誰かがスプレーで“ユダヤ人に死を”と落書きし、彼女はそれにしっくいを塗って消した。
バンリューの公営団地では、オサマ・ビン・ラディンは英雄だった。9/11攻撃のニュースが、建設当時、4,000戸の公営共同住宅があった為、そう名付けられた、ラ・シテ・デ・4,000に届いた時は、若者達がアパートからどっと出てきて、歓声を上げ、アラビア語で、“神は偉大なり!”と唱えた。フランスは、数週間前、アルジェリア独立戦争が1962年に終わって以来、フランスとアルジェリア・チームとの最初のサッカー試合を開催した。スタジウムにいた北アフリカ人達は、フランス国歌の間、やじり、指笛を鳴らした。彼らは“ビン・ラディン! ビン・ラディン! ビン・ラディン!”と唱和を繰り返した。いずれも女性のフランス閣僚二人が、ボトルを投げつけられた。フランス・チームの勝利が近づくと、アルジェリア人ファン達が、試合を止めさせるために、フィールドに溢れ出た。“連中がパレスチナ人やイラク人を毎日爆撃し殺害しているのに、我々にアメリカ人の為に泣いて欲しいのですか?”友人二人とベンチに座っていたモロッコ人移民のマハーム・アバクは、2001年、ラ・シテ・デ・4,000訪問時に言った。“我々はもっと多くのアメリカ人に死んでもらって、我々がどのように感じているか分かってもらいたいのです。”
“アメリカは、ずっと昔イスラム教徒に宣戦布告したのです”鉄道の機械工として長年働いたアルジェリア人移民のラーラ・テウラは言った。“これは反撃にすぎません。”
この激しい怒りを無視するのは危険だ。だがその根源を検証し理解するのを拒否するのは、更に危険だ。怒りはコーランやイスラム教から生じているわけではない。怒りは、大衆の絶望から、明白な貧困状態から、欧米帝国主義の暴力、資本主義の搾取と思い上がりと相まって生じるのだ。特に気候変動の猛攻撃によって、世界の資源が減少するにつれ、世界中の不幸な人々に対し、我々が発信しているメッセージは苛酷で明快だ。全ては俺たちの物で、もしお前たちが我々から何か奪おうとすれば、お前たちを殺すぞ。希望を失った人々が送り返してくるメッセージも苛酷で明快だ。それがパリで伝えられたのだ。
クリス・ヘッジズは、かつて、ほぼ二十年間、中米、中東、アフリカや、バルカンで海外特派員をつとめた。彼は、50ヶ国以上の国々から報道し、15年間、海外特派員として゛、クリスチャン・サイエンス・モニター、ナショナル・パブリック・ラジオ、ダラス・モーニング・ニューズや、ニューヨーク・タイムズで働いた。
記事原文のurl:http://www.truthdig.com/report/item/a_message_from_the_dispossessed_20150111
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大昔のアルジェリア体験を思い出した。
ホテルで鍵をもらうのも、レストランで朝食を注文するのもフランス語でないと通じない。必死で、インチキ・フランス語を駆使した。街の看板表示は、フランス語・アラビア語併記。
客先では、螺旋階段最上階で、若い女性がずらり並び、我々を、じっと眺めていた。もちろん我々がハンサムだったからではない。ただ、異国男の現物を見られるまれな機会というだけの理由。宝塚の階段をおりるのは、ああいう気分だろうか?
町外れに、オートバイや自転車にまたがった若い男性が多数集まり、建物をじっと見つめている場所があった。
後で聞くと何かの女子寮。出入りする女性を一目見たいと出入りの瞬間を待っていたそうだ。
休日街を歩くと、これから女性になるであろう少女、そして、大変失礼ながら、昔はうら若い女性であったような方々しかいない。
ベンチでは、いい年をした男性のカップルが、何組も、しっかり肩を組み、手を握っていた。
そもそもアルコール飲料、全く入手できない。
「こういう国には、製品保守の為とはいえ、技術者を駐在させられないな」と同僚はいった。幸か不幸か、商談、成立しなかった。
空港にゆくと席もなにも無関係、大量の荷物を持ったパリに向かう群衆が搭乗口に群らがった。入国時に没収された、スライド・プロジェクターは返却されなかった。
仕事だからでかけたが、これから観光に行くかと問われたら、答えにつまる。
尊敬する進藤兼人監督の映画『一枚のハガキ』を偶然見た。
『一枚のハガキ』の100人中94人の人生が、これから無数に再生産される。
戦った相手国の無意味な侵略戦争の為に。
『一枚のハガキ』で、二人の主人公は言う。
こんなことがあっていいのか!
100億、1000億という金をだしんさい。
金じゃないというとるじゃろ。
今回日本人、それと知って『一枚のハガキ』の人生を選んだのだろうか。
知って選んだのであれ、知らずに選んだのであれ、希望を失った属国国民。
ポール・クレーグ・ロバーツ氏の最新記事に下記がある。
複数の目的が書かれている。
フランスを、アメリカ勢力圏に引き戻す為。
ヨーロッパの、パレスチナに対して増大する共感を抑えこむ為。
もう一つは、ヨーロッパにおける、中東戦争反対に対抗する為。
更には、彼にはすぐに思いつけない狙いがある可能性もある。
ポール・クレーグ・ロバーツ氏のお勧めは、紙媒体であれ、テレビであれ、信じずに、考えること。
アメリカ人が考えそこねたことが、13年間の戦争と、警察国家での暮らしだ。
そこで、連想するのは、
日本人が考えそこねたことが、70年間の植民地生活と、一層過酷な属国化だ。
TPP以後の日本人には『一枚のハガキ』と違って、自分の種を撒く農業すらあり得ない。

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