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2015年1月6日火曜日

米国で「第3の相殺戦略」が始まる 21世紀も米国が軍事的優位を保ち続けるための新戦略 2015年01月06日(Tue) 福田 潤一vv

長ーーい レポート文章です。

簡単には、財政難の中のアメリカの覇権優位(軍事)回復策です。
アングロサクソン系+ユダ軍事産業資本家は、いつでも執拗に追い求めるでしょう。

土台・・・・国連信託統治島国?ムラの政体と発想では12歳児(マッカサー言)と大人の違いでしょう。



これまでの筆者の記事(「中国の『三戦』に立ち向かう方法」「中国が開発する超音速ミサイルの脅威」など)では、主に中国を中心に抑止と防衛の問題を論じてきた。しかし、ここで視点を変えて、米国の動向を見てみよう。米国では現在、将来にわたって米国の軍事的な優位を保つための革新的な戦略が登場しつつあるのだ。
 それが、米国防総省が2014年11月中頃に公表した「防衛革新イニシアチブ」(DII:Defense Innovation Initiative)である。
 このタイトルだけでは何のことだか分からないが、その中で特に注目すべきは、米国で今回3度目の採用とされている、「第3の相殺戦略」(third offset strategy)と呼ばれる要素である。
 この「第3の相殺戦略」は現在、米国の安保専門家の間で、米国が21世紀においても軍事的な優位性を維持するための取り組みとして非常に注目されている。この米国の取り組みは、日本自身の防衛を考える上でも大変参考になるものである。今回はこの米国の新戦略の内容について注目してみたい。

米国が軍事的な優位性の維持を目指す方針「DII」

 11月15日、米国防総省は「防衛改革イニシアチブ(DII)」と呼ばれる方針を公表した。その際に 公表された覚書によると、DIIの内容は概ね次のようなものとなっている。
【DIIの要旨】
 「国防総省は、米国が21世紀も軍事的な優位性を維持・促進する上での、革新的な方法を追求する全省的なイニシアチブを開始する。現在、米国は鍵となる戦闘領域における従来の優位を失う時代に入りつつある。米国は予算難などの国防資源の制約の中でも、自身の軍事・技術的な優位を維持し、拡張する方法を見つけなければならない。米国は来るべき数十年に備え、戦力投射に関する優位性を保つために、第3の相殺戦略を明らかにする。具体的には、以下の領域において革新を推進する。
・リーダーシップの育成
・新しい長距離射程の研究開発(R&D)計画プログラム
・ウォーゲーム
・新しい作戦構想
・これには政策、取得、技術後方、インテリジェンス、統合参謀本部、各軍の省などの多くの国防総省の部局が関与
・外部の評価基準や内部の再検討を通じたさらなる効率性と効果の追求の継続
 全ての領域はR・ワーク(Robert Work)国防副長官によって監督される。このイニシアチブは21世紀における米国の指導力の基礎を構築することになる」
 以上の内容を少し解説すると、DIIは次のような背景をもって登場してきたイニシアチブである。
 現在の世界ではグローバル化に伴う先端軍事技術の世界的な拡散の結果、もはや米国のみが軍事・技術的な優位性を絶対的に維持できる時代ではなくなっている。地域的な敵対者(中国やロシアのような国家主体とテロリストのような非国家主体の両方を含む)の接近阻止・領域拒否(A2/AD)能力の向上により、米軍の地域の紛争に対する介入はますます困難なものになりつつある。
 同時に、国防予算の強制削減(sequestration)をはじめとする米国の国防資源の制約がこれらの脅威に立ち向かう米国の取組を困難なものとしている。巨額の国防予算削減は戦力構成のみならず戦力の近代化のための研究開発費を圧迫しており、米国が将来における軍事・技術的な優位を保つ努力を一層困難なものとしている。
 そこで、国防総省はこうした状況を打開するために、全省的な革新に着手したわけである。
 DIIで特に重視されているのは、競合的な(competitive)戦略環境においても戦力投射を可能にするための長距離兵器システムの研究開発プログラムである。これは明言されてはいないが、敵対者のA2/AD能力の打破を意図した取り組みであると考えられる。DIIが軍事技術面の革新を重視していることは明らかである。
 しかしながら、DIIは技術的な革新のみを強調しているわけではない。このイニシアチブの中心人物と見られるワーク国防副長官は、「すべてが技術の話という訳ではない」と強調している。他にもリーダーシップの育成やウォーゲームによるシミュレーションなどの非技術的な要素が強調されていることから分かるように、DIIは総合的な見地から米国の軍事的な優位性を保つ取り組みなのである。

米国で過去にも行われた「相殺戦略」の試み

 ではDIIは「第3の相殺戦略」とどのように関わるのだろうか。11月15日のC・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官の演説によると、DIIが発展していく先にあるものが「第3の相殺戦略」であるとされる。そこではDIIは、過去の相殺戦略の教訓から学び、米国の戦力投射能力を今後数十年に渡って競合上の優位として維持していくための取り組み、と位置付けられている。
 ならば「相殺戦略」とは一体何なのだろうか。大まかに言えば、それは自身の競合上の優位を発展させることで、敵対者の(数的な)優位を「相殺(=オフセット)」することを目指す戦略、と位置付けられる。すなわち、現在の米国の「第3の相殺戦略」は、国防資源が制約される中で、米国の技術面をはじめとする競合上の優位を発展させ、敵対者の優位を「相殺」することを試みるものである、と考えられる。
 こうした試みは過去も行われてきた。ワーク副長官は8月5日の演説で、参考にすべき過去の取り組みとして、1950年代初頭のアイゼンハワー政権期の取り組みと、1970年代中盤のH・ブラウン(Harold Brown)国防長官の時代の取り組みを挙げている。そして、今回の「第3の相殺戦略」をこれら2回の取り組みに続くものだと位置付けている。そこで、以下、過去の「相殺戦略」の取り組みについて簡単に振り返ってみよう。
 まず、アイゼンハワー政権期に行われたのは「ニュールック」と呼ばれる政策であった。当時、米国は朝鮮戦争の終結直後で、新たに就任したアイゼンハワー大統領は財政保守主義の立場から肥大化する軍事費の抑制を意図していた。しかし欧州におけるソ連の地上軍は強大であり、米国が対抗して動員できる陸軍師団の数は限定されていた。そこで米国は自身の優位に基づいた非対称な手段でソ連の脅威に対抗することを目指した。
 それが核戦力であった。ソ連に先行して核実験を行った米国は朝鮮戦争末期にはソ連をはるかに凌駕する数の核兵器を保有しており、またその運搬手段も爆撃機を中心に充実していた。そのため、米国は自国の核戦力上の優位を、ソ連の通常戦力を「相殺」する目的で活用することを考えた。それが「ニュールック」政策であり、抑止戦略としての「大量報復(massive retaliation)」戦略なのであった。
 1950年代にはまだ「相殺戦略」という言葉は使われていなかった。だが、「ニュールック」政策の本質は、ソ連との長期的な競合を見据えて、特定分野における米国の優位を相手国の優位を「相殺」するために用いるという意味において、まさしく「相殺戦略」の特徴を備えるものに他ならなかった、と言えよう。
 そして、同様の取り組みは、1970年代中盤にソ連が核戦力でキャッチアップしてきた時期に再び必要とされることになった。これが当時のブラウン国防長官主導の二度目の「相殺戦略」である(この言葉はこの時初めて使われた)。
 この時、ソ連の核戦力は米国に急速にキャッチアップしていた。それと同時に、西側の通常戦力の規模は相変わらずソ連(東側)のそれに比べて劣勢な状況に置かれていた。そのため、米国は戦力規模以外の分野で自身の優位を追求せざるを得なかった。
 そこでブラウン長官は、「相殺戦略」の概念に基づいて、4つの分野で米国の優位を発展させることを決定した。それらは「AWACS」や「JSTARS」等の戦闘管理と戦術偵察システム、GPSを通じた誘導システム、様々な形態の精密誘導兵器(PGMs)、そしてF-117ナイトホークに代表されるステルス技術などであった。つまり、米国はこうした先進軍事技術の分野で優位を確立することによって、ソ連の軍事的優位を「相殺」することを試みたのである。
 これらの軍事技術上の革新は80年代末期にドクトリン面で「エア・ランド・バトル(ALB)」という作戦構想に統合された。こうして米国が確立した軍事的優位は結局、冷戦の終結によってソ連に対してはその威力を発揮することはなかったが、1991年の湾岸戦争ではイラクに対してその圧倒的な力を見せつけた。米国は、革新的な軍事技術の開発とそのドクトリン面における応用によって、ポスト冷戦期の軍事・技術的な優位を確立することができたのである。

「第3の相殺戦略」は何を追求するのか

 今回の「第3の相殺戦略」は、以上のような米国の過去の取り組みを現在において再び繰り返そう、というものである。
 既に多方面で指摘されているように、中国を含む米国の敵対者の多くは、多種多様なA2/AD兵器の開発・配備を通じて、米国の戦力投射を阻害することを目的にしていると言われる。それと共に、米国は巨額の国防予算の削減でリソース不足に苦しんでいる。今回の「相殺戦略」では、そうした敵対者のA2/AD面での優位を、いかに安価な手段で「相殺」できるかが課題となる。
 この点で今回の「相殺戦略」が強調するのは、敵対者のA2/AD能力を打破して戦力投射を可能とするための、費用効果の高い米国の軍事技術上の優位の活用である。対A2/ADの取り組みという点では、米国は既に「統合作戦アクセス構想」(JOAC)や「エア・シー・バトル構想」(ASBC)等の作戦構想レベルの検討を進めている。一方、DIIや「第3の相殺戦略」が目指すのは、こうした各軍種間の統合や相乗効果の追求を越えた、装備品の開発・研究や調達までをも含む、全国防省的な規模による米国の軍事的な優位性の発展であると言える。
 では具体的に「第3の相殺戦略」は何を追求すべきだということになるのだろうか。これに関する最近の民間シンクタンクCSBAの報告書の著者であるR・マーティンエイジ(Robert Martinage)は、米国が活用すべき優位として特に「無人機作戦」「長距離航空作戦」「ステルス航空作戦」「海中戦闘」、そして「複合的なシステムエンジニアリング・統合・運用」の5項目を挙げている。その上で、「第3の相殺戦略」が目指すべき目標として、敵対者のA2/AD能力を打破するための、統合された「グローバルな監視と打撃(the Global Surveillance and Strike: GSS)」ネットワークの構築を提唱している。
 具体的な戦力あるいは技術的な施策として彼が挙げるのは、次のような点である。
・宇宙空間における能力喪失に備えたヘッジを行う。
・対宇宙空間(攻撃)能力の開発とデモを行う。
・無人潜水機(UUV)などの開発を通じ、海中戦力の拡張を行う。
・ヴァージニア・ペイロード・モジュール(VPM)などの海中戦力のペイロード能力の拡張を行う。特に潜水艦発射の通常弾頭搭載型の弾道/ブースト・グライド・ミサイルを開発する。
・固定海中センサーのネットワーク拡張を行う。
・地上、空中、海中から敷設可能な先進機雷の開発配備と長距離対潜水艦戦兵器(ASROC後継)の開発配備を行う。
・電磁レールガンと指向性エネルギー兵器の開発配備を通じてミサイル攻撃と防衛のコスト比率を逆転させる。
・指向性エネルギー兵器を含む新しい対センサー兵器を開発配備する。
・長距離爆撃機(LRS-B)の開発を促進し、調達を拡大する。
・敵対的な環境においても内部に侵入可能な(penetrating)高高度長期耐久性無人機(RQ-4後継のステルス機)を開発配備する。
・同様に侵入可能で空中給油可能な艦載無人攻撃機(MQ-XあるいはN-UCAS)を開発配備する。
・遠征可能で地上配備のローカルなA2/ADネットワーク(短・中距離防空、沿岸防衛用巡航ミサイル、防衛機雷、UUVs、艦対艦ミサイル)を構築する。
 以上の指摘から分かるように、マーティンエイジは米国が相手からの費用賦課(cost imposition)に強く、相手にむしろ費用賦課を迫るような、革新的な長距離戦力投射の技術開発や兵器の配備を中心に、米国自身の軍事的な優位性を発展させることで今回の「第3の相殺戦略」を追及すべきである、と提言しているのである。
 さらに言えば、こうした軍事技術は、それを有効に生かすための最適なドクトリンや作戦構想に統合される必要がある。それがおそらく「JOAC」や「ASBC」等の作戦構想と、その上位にあるべきさらなる戦略なのであろうと考えられる。
 いずれにしても、「第3の相殺戦略」が目指すべきは単に軍事技術上の発展ばかりではなく、それらを有効な戦略や作戦構想等に統合していく努力を含んでいる。

「第3の相殺戦略」の追求に潜むリスク

 米国防総省の「第3の相殺戦略」の全容はいまだ明らかになっておらず、マーティンエイジが提唱する方向で実際の取り組みが行われるのかどうかも定かではない。だが、この取り組みは現在の戦略環境において極めて理に適ったものだと肯定的に評価することができる。なぜならば、これは米国がもはや世界における軍事的優位を自明視できない時代に入りつつあることを、正面から受け止めた取り組みだからである。
 同時に、この戦略は中国との軍事的な長期競合(long-term competition)を特に意識した取り組みであるとも受け止められる。軍事技術にしてもA2/AD能力にしても、今後数十年間に渡って米国の軍事的優位に最も深刻に挑戦するのは中国である。そのため、この戦略は「JOAC」や「ASBC」等の作戦構想と並び、国防資源が制約される時代にあっても、中国との長期競合を真剣に意識したものであるとも評価できるのである。
 しかしながら、今後米国が「第3の相殺戦略」を追求する上では、リスクの存在も無視できないように思われる。大別すれば、それらは次のように分類できよう。
 第1に、国防総省が本当に国防予算の制約を克服できるかどうか不透明な点である。米国では2013会計年度に国防予算の強制削減が発動されて以降、2014年と2015年についてはその部分的な緩和が行われているが、強制削減を定めた2011年予算統制法を修正する新たな議会合意が行われない限り、2016会計年度から再び強制削減がフルスケールで実施されることが見込まれている。
 現在の米国の国防戦略は、既に強制削減に対応して、将来の戦力の近代化のために現在の戦力の規模を犠牲にせざるを得ない、というところまで追い込まれている(「4年ごとの国防見直し(QDR)」、2014年度版)。この上、仮に2016年度から再び強制削減が発動されるようなことがあれば、いかに国防資源の効率的な使用を推奨する「相殺戦略」と言っても、敵対者のA2/AD能力に対抗するための革新的な技術開発に困難が生じることになるであろう。
 第2に、今日の戦略環境ではかつての「相殺戦略」の採用時ほど脅威の性質が明確でない、という問題がある。かつて、50年代や70年代における脅威の性質は極めて明確かつ限定的であった。それは「封じ込め政策」に基づくソ連への対抗というもので、全く疑問の余地がなかった。そのためにソ連の通常戦力の優位を「核戦力で相殺する」「軍事技術的な優位で相殺する」といった問題設定が容易であった。
 ところが、今日において米国が直面する戦略環境はかつてよりはるかに複雑である。米国は、ソ連への対抗と同じように中国への対抗のみに焦点を当てることはできず、欧州でのロシアへの対抗、中東でのイスラム国への対抗、北朝鮮やイランなどの大量破壊兵器開発国への対抗、さらにはエボラ出血熱などの非伝統的脅威にまで対応しなければならない。対応すべき状況が多様ならばそこで求められる能力も多様となり、「相殺戦略」という単一の戦略で対処するには限界が生じるかもしれない。
 第3に、今日ではかつてほど先端的な軍事技術の「囲い込み」が容易ではない、という問題もある。かつて1970年代の「相殺戦略」が成功した背景には、米国の軍事技術上の優位を対ソ輸出規制等の形で「囲い込めた」ことが大きな事情として存在していた。当時はまだ軍事技術と民生技術の開きも大きく、東西両陣営間の交流も限定的であった。ゆえに、軍事技術が対抗相手に流出する恐れは限定的であった。
 だが今日、先端軍事技術の囲い込みはかつてよりもはるかに困難な課題となっている。グローバル化で先端技術が世界に拡散した結果、各国が先端軍事技術の開発競争において、先行国にキャッチアップする速度は速まっている。民生品の輸出やサイバー窃盗などの形で軍事転用可能な技術が他国に流出するリスクも高まっている。こうした時代において、米国が「相殺戦略」による軍事・技術上の優位を維持し続けることは、かつてよりもはるかに難しくなっていると考えられる。
 以上のような理由から、米国防総省が目指す「第3の相殺戦略」は必ずしもその当初の目的を達成することはできないかもしれない。あるいは達成しても、その優位は一時的なもので終わる可能性もある。
 しかし、それでも自身の制約を直視しながらも敵対者の優位を自身の優位で「相殺」しようとする試み自体は、今後の戦略環境においてますます重要性を増していくと指摘できよう。

日本が「第3の相殺戦略」に学ぶべきこと

 「第3の相殺戦略」の発想は、日本が将来の自身の防衛を考える上でも参考にすべき点が多い。最後にこの点に触れて本稿を締めたい。
 まず認識すべきは、現在の日本と米国は直面する戦略状況に類似した点が多いということである。日米は共に台頭する中国に直面しており、そのA2/AD能力による脅威にさらされている。同様に、日米は共に財政難に直面しており、今後、長期にわたって防衛資源の制約に直面することになる。こうした中、敵対者の(数的)優位を自身の優位性を発展させることで「相殺」する「相殺戦略」の発想は、日本としても参考になるのではないかと考えられる。
 特に意識すべきは、「相殺戦略」の発想が他者と同じ分野で正面から力勝負を挑むものではない、ということである。繰り返し述べてきたように、「相殺戦略」は他者が優位を持つ分野それ自体に正面から挑戦することを目的とするものではなく、他分野での自身の優位を伸ばすことで相対的に安価な形で他者の優位を「相殺」することを目指すものである。すなわち、相手と対称な軍拡競争を行う発想ではなく、非対称な手段で相手の弱点を突く発想なのである。
 以上を前提にすれば、日本も中国に対して非対称な優位を伸ばすことで中国の(数的)優位を「相殺」することができる分野はいくつか存在するであろう。例えば対艦・対空ミサイルの開発と配備はそうした分野であろうし、海中戦や機雷戦などもそうした分野であると思われる。また、技術面のみならず運用方法のようなソフト面、さらにはグレーゾーン事態における危機対応や「三戦(輿論戦、法律戦、心理戦)」への対抗においても、日本が活用できる優位が何か存在するかもしれない。
 「相殺戦略」の発想で最も問われるのは、相手に対する自身の比較優位がどこにあり、それをどう伸ばすか、を突き止めるための知的努力である。その点で、日本にはまだまだ努力できる余地は残っているのではないかと思われる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42577  

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