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2014年3月29日土曜日

Ignition on Dyna Pulse Jet




春の庭風景

久々の深夜のオートバイ・レース




シーズン終わりのシンビジウム

アメリカ裏勢力

 アメリカの支配層が民主的でないことは歴史を振り返ればわかる。先住民を虐殺しながら東海岸から西へ向かって侵略を続け、その先住民を「保留地」に強制収容して土地を奪い、「アメリカ」なる国は出来上がった。シャイアン族とアラパホー族に対して行った「サンドクリークの虐殺」は1864年のことであり、スー族が犠牲になった「ウンデット・ニーの虐殺」は1890年のことだ。

 その後、目を向けたのがスペインの支配下にあった南の地域。1897年にウィリアム・マッキンリーが大統領に就任、キューバの独立運動を支援するという口実で介入を始め、1898年の「メイン号爆沈事件」を利用して軍隊を派遣し、スペインと戦争になる。

 この戦争で勝利したアメリカはキューバの「独立」を認めさせただけでなく、ハワイを支配、フィリピンも手に入れた。メイン号の事件はアメリカの自作自演だと考える人が少なくない。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡になる。

 1900年の大統領選挙で再選されたマッキンリーは再選されるが、翌年に暗殺され、副大統領のセオドア・ルーズベルトが跡を継ぐ。そして始められたのが「棍棒外交」。対外債務で苦しむベネズエラに内政干渉、ドミニカやキューバを保護国化してしまう。こうした侵略政策は、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任、善隣外交を打ち出す1933年まで続いた。

 この1933年にウォール街、つまりアメリカの巨大金融資本は、ルーズベルト大統領を引きずり下ろしてファシズム体制へ移行させるため、クーデターを計画した。この事実は本ブログで何度も書いてきたことだ。ちなみに、ウォール街は関東大震災が日本の首都を襲った1923年以降、日本に大きな影響力を及ぼしている。

 その当時、ウォール街と最も強く結びついていたと考えられている人物が井上準之助。1920年に行った対中国借款の交渉でJPモルガンを率いていたトーマス・ラモントと親しくなったようだ。

 JPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻と親戚関係にあるのが駐日大使になり、戦後はジャパン・ロビーの中心メンバーとして日本を「右旋回」させたジョセフ・グルー。彼も日米関係を考える上で忘れてはならない人物である。

 第2次世界大戦後、アメリカは破壊活動を実行させるために極秘機関のOPCを創設、後にCIAへ入り込んで「計画局」(後に「作戦局」へ名称変更、さらにNCSになる)の中核になる。その一方、西ヨーロッパでもイギリスと共同で秘密の「残置部隊」を設立、後に西ヨーロッパの「左翼」を潰す工作を開始、「NATOの秘密部隊」と呼ばれるようになった。

 この秘密部隊の中でも最も有名なイタリアのグラディオは1960年代から1980年頃にかけて「極左」を装った爆弾攻撃を繰り返して「左翼陣営」に大きなダメージを与えた。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺未遂、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺、あるいはイタリアのアルド・モロ元首相の誘拐/殺害などでも名前が浮上している。

 そして1980年代、ロナルド・レーガン大統領の時代にアメリカの一部支配層はクーデターの準備を始める。COGだ。この計画を起動させたのが2001年9月11日の出来事である。このプロジェクトについては本ブログでも何度か書いたことなので今回は割愛する。

 ラテン・アメリカの軍事独裁政権にしろ、「NATOの秘密部隊」にしろ、「元ナチス」やネオ・ナチと深く結びついている。リビアやシリアでの戦争でイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を今でも戦闘員として使っていることが確認できた。ウクライナの体制転覆プロジェクトでネオ・ナチが中心的な役割を果たしたのは必然だと言えるだろう。ウクライナのネオ・ナチを率いてきたひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)を殺害したところで、本質的な変化はない。

乳酸菌はなぜ腸にいいのか? 遺伝子レベルの研究で明らかに!

なんとなく体にもよさそう、お腹の調子を整えてくれる感じがする…… そんなヘルシーなイメージを持つ乳酸菌を、手軽に摂ることのできる食品がヨーグルトだ。その整腸作用のメカニズムを遺伝子レベルで解明しようと、乳酸菌の研究が世界的に進んでいる。
 食品メーカーの明治とフランスのパスツール研究所は、2011年から乳酸菌の共同研究を行っている。この研究から、代表的な乳酸菌のひとつであるLB81乳酸菌が、健康を保つカギとなる「腸管バリア機能」の低下を防ぐのに役立っていることがわかってきたという。「腸管バリア機能」とは、食べ物などと一緒に腸に入り込んでくる細菌やウイルス、腸内の悪玉菌がつくる有害物質などから体を守ってくれる、腸のガード機能のことだ。この「腸管バリア機能」は加齢や不規則な生活、過度のストレスなどの影響で低下しやすく、その結果、腸から侵入した病原菌やウイルス、有害物質が全身に行きわたり、身体の不調や病気の原因となることもわかってきている。
 2014年3月20日、「LB81乳酸菌の新たな可能性 腸の健康を保つ鍵、『腸管バリア機能』低下を防ぐ」と題したセミナーが都内で開かれた。セミナーではLB81乳酸菌の新たにわかった機能などが発表された。
 パスツール研究所「リンパ組織発達」研究ユニットの主任研究員であるジェラール・エベール博士は、テレビ会議システムを通じてフランスから講演した。同氏によると、ヒトはそもそも細胞と微生物の集合体とも言え、腸内細菌叢(そう)のバランスが健康を保つポイントになるという。ところが腸内細菌叢は加齢とともにバランスを崩し、腸の免疫システムが損なわれるおそれもある。そこで、老齢のマウスにLB81乳酸菌を使用したヨーグルトを与えたところ、若いマウスの腸内細菌叢のバランスに近づくことがわかった。また、大腸炎を起こさせたマウスにLB81乳酸菌を摂取させたところ、腸の炎症が抑えられたとの報告もあり、これらの結果から、LB81乳酸菌を使用したヨーグルトを食べることで、腸の老化を改善したり、加齢に伴う腸の疾患を抑制したりできると考えられるという。
 明治の研究本部食機能科学研究所乳酸菌研究部長の浅見幸夫氏は、LB81乳酸菌には腸管内の抗菌ペプチドの遺伝子発現を上昇させる働きがあるとし、腸管バリア機能の向上のみならず、腸内細菌叢のバランスを保つのに役立つと指摘した。
 順天堂大学 医学部病院総合診療科研究室・病院管理学研究室の小林弘幸教授は、身近な視点から腸の老化と全身の老化、そして老化しにくい生活習慣や食習慣について解説。便秘を解消する食品としてヨーグルトに期待できるとし、食物繊維などを併せて摂ることで食習慣を改善するほか、ストレスの発散や適度な運動を継続することが望ましいと話した。
 漠然と「体によさそう」と思われていた乳酸菌。その研究は、新たなステージを迎えたようだ。

ukurainajyousei

フリーメーソンと「分割ウクライナ」は東西新構想の実験場



ウクライナ情勢は、いまだにマスメディアから流れてくる情報を鵜呑みにしている日本人には逆立ちしても理解できないでしょう。マスメディア自身が理解できないのですから。
構造や戦略は馬鹿らしいほどシンプルで戦術だけが複雑に見えるようにしているだけ。

彼ら(NWO)は、ネオナチ(反ユダヤ、反ロシア)という“チンドン屋”を使って民族的、宗教的問題に見せかけようとしていますが、本当の狙いは「ロシアの第二の解体」。
この裏には、歴史あるウクライナのフリーメーソンの暗躍がある。

★ロシアがNWOの防波堤になっている
ウクライナのフリーメーソン

20140323-1.jpg
ウクライナの500フリヴニャ紙幣の裏面にデザインされたフリーメーソンのシンボリズム

プーチン-「ある人々が、ロシアは分割されるべきだと主張している」

この記事を最後まで読むと、ウクライナ情勢の背後にある真相が大方は理解できると思います。

日本の記事では、「ロシアが悪い、プーチンが悪いは本当か!?」が、まあまあのアプローチを試みていますが、これも全体像を把握し切れていません。

プーチンのクリミアの国民投票の次はロシアのパスポート発給と、間髪おかず「ロシアの国境」を国際社会にアピールする早業はアッパレ!

スボボダ(ウクライナの極右政党 反ロシア)がロシア人やユダヤ人を排斥。「ナチスの姿がウクライナに現れた」とメディアはスボボダのことをファシズムだと言っています。それは「そのとおり」です。彼らはナチスです。そして、彼らは西側に操られています。

ウクライナ情勢の今後を占うには、「西洋と東洋」と「大中東」と「秘密結社」の3つの要素を組み合わせることが必要です。
ここにもヘーゲルの弁証法の「正・反・合」が使われているのです。

これは東洋対西洋の対立軸を先鋭化させることによって、ウクライナを分断し、ロシア国内の世論の二極化を図ることによってロシアを弱体化させることが狙いです。
つまり、「一極集中世界」vs「多極未来世界」と言い換えることができるかもしれません。

「一極集中世界」とは、西側(米・欧)。「多極化未来世界」とはロシア。
ウクライナ国内では、ヨーロッパ側の西の地域に住む住民が「一極集中世界」に取り込まれようとしています。
反対に、ロシア側のウクライナの東地域の住民が「多極化未来世界」。

もちろん、今回のウクライナの混乱は「一極集中世界」=新世界秩序を仕掛けている米・欧の工作によるものであることは言うまでもありません。

カータルッチは、彼のサイト「ランド・デストロイヤー」に1本の記事を寄せています。
分割されたウクライナは、東西の新構想の実験場」というタイトルの記事です。(下の囲みに要約)

西洋の時代遅れの一極集中の世界は、東洋の多極的未来と衝突する

トニー・カータルッチは、2014年3月21日にNEOに書いた記事で、「一極集中世界がロシアを脅かしている」とロイターの2007年11月5日の記事で、すでにプーチンが語っていたことを指摘しています。

《プーチンの演説》
「ある人々が、ロシアは分割されるべきだと主張しており、その理論を広げようとしている。
一極集中の世界を構築したい人々がいて、その人々は、すべての人類を支配しようとしている人々だ」とプーチンは2007年の段階でロイターに語っている。

(管理人:ゴルバチョフは、チェルノブイリ事故をきっかけとして、解体の第一段階をやったのです。そして彼は、その見返りにノーベル平和賞を受賞して、土地をもらった)。

その時のロイター(2007年11月5日付)の記事の要約は以下のとおり。

ロシア民族統一の日に、プーチン大統領は、「外国人が広大な祖国を分裂させて、かつその天然資源を略奪しようと画策している」と、オブラートに包んだような警告を出した。

プーチンは日曜日にモスクワで行った演説の合間に、「ある人々は、絶えず我が国を分割する必要を主張しており、この理論を広げようとしている」と軍士官候補生に伝えた、とロシアの通信社は報じている。

「一極集中の世界(すべての人類を支配したいと考えている人々による)を構築したい人々がいる」とプーチンは言った。

このフレーズは、プーチン政権の過去7年間にわたって彼が使用してきた言葉であり、それはアメリカを意味している。
………
「私たちは、あまりにも多くの天然資源を持っているため、それを分割するべきである、と考えている人々がいる。
しかし、彼ら自身は、自分たちが持っている富を(私たちと)共有するつもりはないのだ。だから、私たちは、そのことをよく知っておくべきなのだ」とプーチンは繰り返し軍士官候補生たちに語った。

※ロイターは、プーチンのこの演説を、「ロシアのパラノイアの世迷言」としてスピン報道を繰り返しましたが、現在、ウクライナで起こっていることを見れば、数年前のプーチン大統領の判断が正確であることが、時を超えて明白になったのです。
(※ロイターはユダヤ系を標榜していますが、実はその逆でシオニスト系。解説→こちらのページへ

CIAはウクライナをロシアから剥ぎ取ろうとしている

何年もの間、西側は、ロシアとの歴史的、社会経済的な結束からウクライナを剥ぎ取る目的で、西側の代理人として働く支配者集団をウクライナ内部に育成しているのです。

ウォールストリートとシティ・オブ・ロンドン(金融街)の法人資本家たちと、それに対抗するウクライナ側の勢力との間の利害をめぐる深い関係は、PR Weekというニュースサイトの「分析:ウクライナではPRが流砂のごとく踏みつけにされる」という記事でうまく要約されています。

この記事では、ベル・ポッティンジャーやポデスタ・グループを含む、この地球上で最も悪名高い企業ロビー活動を行う企業のいくつかが、2004年の、いわゆる「オレンジ革命」以来、ウクライナの国内問題に関与してきたことが暴露されています。

オレンジ革命は、西側と、特に米国政府によって明らかに組織化され、引き起こされたクーデター(下の囲みに解説あり)でした。

《ウクライナのオレンジ革命の背後で暗躍したCIA学校

ウクライナでは、2004年に大統領選挙が実施され、親ロ派のビクトル・ヤヌコビッチ首相が親欧米派の元首相ビクトル・ユーシェンコ候補をおさえて当選。
しかし、ウクライナ国民は親ロ派のビクトル・ヤヌコビッチ政権の不正と腐敗、非民主主義を糾弾する抗議集会を開き、連日数万から数十万の民衆がユーシェンコを支持し、やり直し大統領選挙で、欧米派の元首相ビクトル・ユーシェンコが大統領になった。

この背景には、「CIA学校」と呼ばれる「CANVAS」(=Center for Applied Non-Violent Action and Strategies)という革命製造組織の暗躍があり、政治に無知な若者を扇動して、親ロ派を倒し、ワシントンの傀儡の親欧米派首相を擁立して、事実上、ワシントンがウクライナをコントロールできる体制を確立した。

このとは、CIA学校である「CANVAS」を言論やマスコミを使って側面支援したのが、ワシントンの米国民主主義基金(NED)や、アルバート・アインシュタイン研究所、フリーダム・ハウス(Freedom House)、国際共和研究所(IRI)といった非営利政府組織でした。

しかし、これらの組織すべてが、実はワシントンから資金提供を受けていたグローバリストの「ひも付き」機関でした。

記事は、ウクライナへの西側の絶え間ない干渉を時系列で記録しています。それは、最近のウクライナの混乱に至るまでです。

PR Weekの記事は、キエフの代理政権をしっかり支えているネットワーク(それは手厚く資金提供されている)が、「より強固なEUとウクライナとの関係を支援する個人および民間会社」から資金提供を受けていることを明らかにしています。

それは、これら西欧の法人資本家の利益(それは、民主主義と自由のためのウクライナの待望ではない)に結びついています。
それはまた、最初に※ユーロマイダン(マイダン広場:抗議者が集まった独立広場の名前)に集合した群衆をけ飛ばし、現在、西側の代理人がはびこっている西ウクライナの地域を醜くゆがめて、形を変えてしまう推進力そのものです。

ウクライナの東部の人々は、ロシアとともに長い歴史を歩み、ロシアと近い文化を持ち、言語の上でも社会経済的にも結びつきの強い人々で、まぎれもなく親ロシア派です。

キエフでのクーデターに立ち向かい、ウクライナで西側がさらに地歩を固めながら腐敗した影響力を増大させている東ウクライナを守るため、彼らはロシアの動きを歓迎してきました。

クリミア半島で行われた民主的な国民投票は、現在の機能不全でスパイラルを描いて落ちている西部地方から分離し、形式的にロシア連合に加わる過程を始めながら圧倒的にキエフでファシスト政権からの独立を選びました。

この結果、ウクライナで生じる状況とは、西洋とウォールストリート、シティ・オブ・ロンドンの一極支配の秩序が、多極支配の東洋とロシアのビジョンと対峙する実験場となるということです。

西洋の金融の予測しうる結果と社会の破滅と、これに対する東洋の安定した状態は、徐々にはっきりしてくるでしょう。

ウクライナでの代理闘争は、大中東アジェンダの一環

ウクライナで起こったオレンジ革命は、西側と、特に米国政府によって明らかに組織化され、引き起こされたクーデター

ソ連崩壊後、ジョージ・H・W・ブッシュが、「新世界秩序の夜明けだ」と勝ち誇ったように議会で宣言しました。youtubeに動画があるはずです。

これは、チベットからウクライナまで、ベネズエラからチュニジアまで、クウェートからモロッコまで世界をつくりかえるということなのです。

米国民主主義基金(以下NED)の創始者であり、最初のトップであったアレン・ワインスタインは、1991年、ワシントン・ポスト紙にこのように言ったのです。
「今、我々が行なっている多くのことは、25年前にCIAが密かに行なってきたことだ」。
なるほど、その証拠にNEDの理事会のメンバーには、元国務長官やCIAの副長官になどが含まれているのです。

NEDが関わっているプロジェクトは、イスラム教圏の国々、そしてエジプトを加えて、チュニジア、イエメン、ヨルダン、アルジェリア、モロッコ、クウェート、レバノン、リビア、シリア、イラン、およびアフガニスタンにまで及んでいます。

要するに、中東から北アフリカまでの、大変革の地鳴りの音を感じているほとんどの国々が、NEDのターゲットとなっている、ということなのです。

米国民主主義基金(以下NED)とは、2001年から2003年にかけてのアフガニスタンとイラクへの米軍の軍事侵攻以降、北アフリカと中東での政情不安定の波を、誰にも悟られないように仕掛けているワシントンの大中東アジェンダの請負人です。

中東の国々で次々と政権転覆を仕掛ける革命工作グループは、前述した「CIA学校」と呼ばれる「CANVAS」でした。

また、「国際問題のためのアメリカの民主党、共和党両党の研究所」という組織がありますが、これもワシントンに本拠を置き、米議会から資金提供を受けているNEDの下部組織です。

エジプト革命では、さらに下部の実行組織として「ケファヤ」という、突然、現れたグループによってエジプト革命の中心的存在となった「4月6日若者運動」を主導しました。
「ケファヤ」はフリーメーソンと深いつながりがあるとされています。

ウクライナでも、フリーメーソンの暗躍を臭わせます。
ウィキぺディアの「Freemasonry in Ukraine」に解説があります。

ウクライナのフリーメーソン

18世紀半ば、フリーメーソンのロッジがポーランド・リトアニア共和国の領土内にできたとき、ウクライナに初めてフリーメーソンが現れました。

記録によれば、最初のロッジはポーランド貴族によって1742年に ヴォルィーニ(Volhynia)のビシュニツカ(Vyshnivka)村で設立されました。
リヴィウ(Lviv) では、3人の女神の最初のロッジが1758年(オーストリア-ハンガリーの一部)に出現しました。
マロロシア(Malorossiya: ロシア帝国)では、最初のロッジが1784年、ロシアの役人によってキエフで設立されました。

「Bessmertie」と命名されたそのロッジのメンバーのうちの1人は、フルィホーリイ・スコヴォロダ(Hryhoriy Skovoroda)でした。
ロッジは、結局、最初のポーランド分割後に創られました。

翌年、1784年には3つのロッジがクレメンチュク(Kremenchuk)にできました。マーズ(Mars)、ドブリー・バスティル(Dobry Pastyr)、そしてミネルバの3ヵ所である。
最後のミネルバは、ポドリミネルヴァからドニエプル川の堤に移されました。

フリーメーソンは、この他、ハルキウ(Kharkiv)、ヴィーンヌィツャ(Vinnytsia)、エカテリノスラフ(Yekaterinoslav)、ベルジチェフ(Berdichev)にも存在したことが知られています。

18世紀中頃から、ウクライナ中にフリーメーソンのロッジが次々と創設されていったのです。

エジプト革命でもフリーメーソンの影がちらついていました。
今のウクライナの分断工作も、当然、フリーメーソンが仕掛けたものと考えなければなりません。

フリーメーソンは、秘密結社とは言うものの、今ではワシントンの革命請負をやっているのです。
つまり、ワシントンの新世界秩序構築にはフリーメーソンが深くかかわっていることは疑いようのないことなのです。

西側のグローバリストの資本で動いている企業メディアは、「クリミアのロシア併合に軍隊を出したロシアは民主主義を踏みにじるものだ」と批判しています。

日本の愚鈍な政治家たちも、これに同調して「日本は西側を支援するためにロシアを非難して国際世論を盛り上げるべきだ」と言っている怪しい議員たちがいます。→TPP=NWOのツール=「666」

チュニジア、エジプトでも体制に抗議する若者たちを背後で誘導していたのはワシントンとタッグを組んで動いていたNGOの名前を冠した革命工作機関だったし、それをさらに闇の奥でサポートしていたのは秘密結社でした。

今回のウクライナの分断劇でも、まったく同じ革命モデルが使われているのです。

ワシントンこそが非民主的な方法で他国を凌辱する暴虐を尽くしているのに、肝心の政治家は、特に日本の政治家たちは、これに気づかないふりをしているのか、あるいは、まったく感性が汚れてしまっているのか、信じがたいことを平気で言っているのです。

ロシアは、軍隊を出してウクライナ国民の意思を踏みにじったのではなく、西側の「1%」による奴隷的支配から国民を「守った」のです。
この区別さえつかない日本の政治家はクズ以外の何物でもないでしょう。

プーチンは、このことを知りすぎているのです。
ウクライナが西側に併合されてしまえば、ロシア国内でも政権打倒の工作が行われるでしょう。プーチンは、私たちの利害に深い関係がある「多極化未来世界」の最後の砦なのです。

2014年3月28日金曜日

ウクライナの体制転覆にネオナチを使った米国の支配層は19世紀から侵略や破壊活動を続けてきた

 アメリカの支配層が民主的でないことは歴史を振り返ればわかる。先住民を虐殺しながら東海岸から西へ向かって侵略を続け、その先住民を「保留地」に強制収容して土地を奪い、「アメリカ」なる国は出来上がった。シャイアン族とアラパホー族に対して行った「サンドクリークの虐殺」は1864年のことであり、スー族が犠牲になった「ウンデット・ニーの虐殺」は1890年のことだ。

 その後、目を向けたのがスペインの支配下にあった南の地域。1897年にウィリアム・マッキンリーが大統領に就任、キューバの独立運動を支援するという口実で介入を始め、1898年の「メイン号爆沈事件」を利用して軍隊を派遣し、スペインと戦争になる。

 この戦争で勝利したアメリカはキューバの「独立」を認めさせただけでなく、ハワイを支配、フィリピンも手に入れた。メイン号の事件はアメリカの自作自演だと考える人が少なくない。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡になる。

 1900年の大統領選挙で再選されたマッキンリーは再選されるが、翌年に暗殺され、副大統領のセオドア・ルーズベルトが跡を継ぐ。そして始められたのが「棍棒外交」。対外債務で苦しむベネズエラに内政干渉、ドミニカやキューバを保護国化してしまう。こうした侵略政策は、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任、善隣外交を打ち出す1933年まで続いた。

 この1933年にウォール街、つまりアメリカの巨大金融資本は、ルーズベルト大統領を引きずり下ろしてファシズム体制へ移行させるため、クーデターを計画した。この事実は本ブログで何度も書いてきたことだ。ちなみに、ウォール街は関東大震災が日本の首都を襲った1923年以降、日本に大きな影響力を及ぼしている。

 その当時、ウォール街と最も強く結びついていたと考えられている人物が井上準之助。1920年に行った対中国借款の交渉でJPモルガンを率いていたトーマス・ラモントと親しくなったようだ。

 JPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻と親戚関係にあるのが駐日大使になり、戦後はジャパン・ロビーの中心メンバーとして日本を「右旋回」させたジョセフ・グルー。彼も日米関係を考える上で忘れてはならない人物である。

 第2次世界大戦後、アメリカは破壊活動を実行させるために極秘機関のOPCを創設、後にCIAへ入り込んで「計画局」(後に「作戦局」へ名称変更、さらにNCSになる)の中核になる。その一方、西ヨーロッパでもイギリスと共同で秘密の「残置部隊」を設立、後に西ヨーロッパの「左翼」を潰す工作を開始、「NATOの秘密部隊」と呼ばれるようになった。

 この秘密部隊の中でも最も有名なイタリアのグラディオは1960年代から1980年頃にかけて「極左」を装った爆弾攻撃を繰り返して「左翼陣営」に大きなダメージを与えた。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺未遂、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺、あるいはイタリアのアルド・モロ元首相の誘拐/殺害などでも名前が浮上している。

 そして1980年代、ロナルド・レーガン大統領の時代にアメリカの一部支配層はクーデターの準備を始める。COGだ。この計画を起動させたのが2001年9月11日の出来事である。このプロジェクトについては本ブログでも何度か書いたことなので今回は割愛する。

 ラテン・アメリカの軍事独裁政権にしろ、「NATOの秘密部隊」にしろ、「元ナチス」やネオ・ナチと深く結びついている。リビアやシリアでの戦争でイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を今でも戦闘員として使っていることが確認できた。ウクライナの体制転覆プロジェクトでネオ・ナチが中心的な役割を果たしたのは必然だと言えるだろう。ウクライナのネオ・ナチを率いてきたひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)を殺害したところで、本質的な変化はない。

2014年3月27日木曜日

oh myGod?

2014年03月26日

STAP細胞問題と日本社会崩壊



STAP細胞問題が、成果を発表した研究員の個人資質の問題から今度は細胞その物が偽造だったかも知れないと報じられて来ており、日本の先端技術に携わる者の信用を失墜させるかも知れない事態に陥りつつあります。

何故なら、何故発表されるまで誰もチェックしなかったのかということになるからです。
理研にしても共同研究者にしても基礎的な部分を誰もチェックしなかったことが問題にされるからです。


大方の日本の管理職は今や判子をただ押すだけの存在になっているとも言われていますが、理研の幹部は誰もチェックしていないとなれば、そんな幹部に税金から一人何千万円も支給するのがおかしくなります。

今後、日本人と研究するのが怖いと言われ兼ねない事態であり、本来なら関係した者は即刻、全員辞任して責任を取る必要がありますが、幹部は皆、女性研究員に責任を押し付けて逃げ体制となっています。
あまりにも情けない事態と誰も思わないのでしょうか?

今の日本は責任ある立場の者が責任を取らなくなってきている社会となっており、これでは社会は崩れるだけですし、若者や子供達に悪い影響を与えることになります。

年配の責任ある立場の者が、何をしても口で誤魔化せらば何ら問題がない社会なのだと若者に思われたら、社会規範などなくなります。

お偉いさんがそうなら俺達も勝手にやろうぜ、となってしまうからです。

日本社会を崩壊させているのは若者ではなく、責任を取らない年配者となれば、若者は年配者を襲います。
今の『おれおれ詐欺』もこの延長線上にありますし、年配者を襲う強盗事件も今後急増することになるはずです。

気功治療が多くの患者の命を救う

「振るえユラユラ」とは、気功の動作のようなものです。
   身体の力を抜き、ユラユラ動くと全身の血行が良くなることを言っています。つまり、両手両足の指先まで「気」を通すことができれば、あらゆる病気を改善し、予防することができます。

   ホツマツタエには、「夜は寝るゆえ北はネぞ」とあり、頭は北に向けると地球の磁力線と同じ方向になるので、縄文人は北枕が常識だったのです。気が多くあるから気多、すなわち北です。古代の日本人は、地球そのものが巨大な磁石であり、北枕で寝ると地球の磁力線によって乱れを正常に戻せることを知っていたのです。そのために死人を北枕で寝せておくと生き返ることがあるので、一定時間寝せておくのです。死んだ人を北枕にするので、そのことから北枕は縁起が悪いと言った人が過去にいたのでしょう。

   ホツマに出てくる「フクシ」とは肺のことです。
   肺の機能を良くするには、吐くことに意識して細く、長く、ゆっくり息を吐き出しなさいと言っています。丹田呼吸法を習わなくても、詩吟でもお経でも、歌を歌うも良い。それで内外呼吸のすべての臓器の酸欠を防ぐことができます。癌は酸欠で発生します。
4歳の男児で、白血球数が20万まで増えて、もはや死ぬのを待っている状態の中で家族から治療の依頼がありました。腹部が2倍の大きさに膨れていて、一瞬これは駄目かなと思いました。オーリングテストでツボを探し、そこへホツマ文字を描いたところ、1週間後には白血球数が8000まで下がったと聞きました。皮膚にホツマ文字を描くと宇宙からエネルギーが入るようです。

   小学4年生のアトピーの男児がやって来た時、私は彼に言いました。
   「アトピーは治せないけど、一度喘息にしておいて止めることはできる。イカサマのような治療で良ければ」と。しかしその後9年間、アトピーの症状は出なかったのです。そして今、彼は東大医学部の6年生です。

   もう3ヶ月以上具合悪くて、学校へ行けない小学生の女児を治療して治したのですが、その後彼女は10年間気功教室に通い、鍼灸師になりました。

   脊髄損傷で車椅子の女性が教室にやって来ました。
   治療費にすでに100万以上使ったのに治らなかったそうです。女性の鼻と口の周りに瘀(お)血があるのがわかります。セルフォで調べると、鎖骨下動脈が鎖骨下筋と第1肋骨に挟まれています。圧迫を解除してみると見る間に治りました。

   栃木県の大田原で気功治療をした時、血余り状態(食べすぎ)で治りの悪い人がいました。「このままでは癌になるよ」と私が言うと、「うちの家族全員が癌です」と答えます。つまり、「1日1食で生きていられる家系」であるのに、3食腹いっぱい食べているのが癌の原因とわかったので、1日1食を守らせたところ1ヶ月で完治しました。

   脳腫瘍で左脳を全摘している中学3年生の男の子が、般若心経を1ヶ月で覚えてしまいました。言語中枢がないのになぜ覚えられたのか不思議でした。また、「あ」と「う」しか言えない11歳の自閉症の男の子は、オリーブ核に異常があることがわかり、ツボにホツマ文字を描いたところ、3回の治療で言葉が出てきたのです。

   膝が曲がらないのは骨がすり減っているのが原因だと、病院で診断された82歳の女性が教室にやって来ました。見ると恥骨筋と短内転筋と長内転筋の3本の筋肉が縮んでいました。そのため大腿骨が内側に入っているために膝が痛むのです。大腿骨が中に入らないと恥骨が下がるために腰痛になります。そこでスネの4ヶ所を回転させながら太祝詞を2セット言うと治りました。

   先日も腰痛と膝痛の人が来ましたが、2人とも医者から「骨」が「すり減っている」と言われて納得していました。膝痛はスネを4ヶ所回転させながらこすっただけで治りました。腰痛は、鍼を3本刺して治りました。

   ある健康オタクの人から、脳幹の周りの血管が切れたと気功治療を頼んできました。彼は炭の枕をして、足の裏には樹液シートを張って寝ていました。そのどちらも逆気(頭に血が昇る)ものなので、頭の中枢部の血管が切れたのです。樹液シートを考案した人が、開発途中で失明したということは、瘀血が目に集まりすぎたのです。瘀血が組織に浸潤すると
細胞は酸素が不足して窒息死します。肝臓に集中すれば肝硬変になります。樹液シートは目か肝臓のどちからに瘀血が集中するはずと思ったので、使ってみると私の場合は肝臓が重苦しくなりました。

   竹炭の枕があります。
   私も使ってみたところ、ドカンとエネルギーが入って来たので、脳細胞が壊れると思い、それを製作者に危ないと電話したのですが、クレームはきていないとのことでした。竹炭の枕は危険であることを、気功教室の生徒に伝えたのですが、生徒の1人が竹枕で体調がよいと言うのです。しかし知らないというのは怖ろしいもので、実は頭におできがたくさんできていたのです。

   子どもが筋ジストロフィーだと、若いお母さんから電話がありました。
   この女性は独身時代に、ここへ気功治療を習いに来ていた人でした。1歳半の男の子がミルクを吐き出すので大学病院で診てもらったら、筋ジストロフィーと診断された。実は竹炭の枕を使っていたために、赤ちゃんの脳の基底核に瘀血が集まり、嚥下(えんげ)できなくなっていたのです。

   基底核の異常は肝経の行間(こうかん)欠で治るはずと思い、レーザー光線針で15秒ずつ照射した後、セルフォで確認すると筋ジストロフィーは治っていると出ました。その時突然、私の頭の中で、「もう少しでこのお母さんに殺されるところだった」と声が聞こえてきました。そして同時に、「竹炭」と聞こえました。南枕と竹炭が原因で、この子どもはあやうく廃人になってしまうところだったのです。


         book 『「神代文字」言霊治療のしくみ』 片野貴夫著 ヒカルランド

2014年3月26日水曜日

kakushi 味の発酵食品


ホワイトソースに、白みそを添加します。
グラタンです。

虫歯を塞いでしまう画期的歯磨き 日本人が発明

虫歯を塞いでしまう画期的歯磨き 日本人が発明

   個人衛生分野における革命的発明が、日本の学者ヤマガシ・カズエ氏によってなされた。

   氏が発明した歯磨き(ペースト状)を使った場合、歯の中にある穴やひびなどを迅速にかつ痛みもなく塞ぐことができ、歯医者に行かなくても歯のエナメル質を復元できる。英国の新聞「The Daily Telegraph」が報じた。
   開発された新歯磨きは。その成分が歯のエナメル質に類似しており、歯の割れ目に直接用いることができる。歯磨きに含まれた酸が、まずひびの入ったエナメル質の表面をわずかに溶かし、3分後には歯磨き自体が結晶化し、人工的な物質は自然のエナメル質の構造に、しっかりと組み込まれてゆく。
   日本の歯科専門家らが行ったテストでは、新型歯磨きを使って治療した歯は、健康な人の歯と全く変わらず、顕微鏡でも見分けがつかないという。

2014年3月21日金曜日

K&B modified 15R out of the '64 production basis with 29R intake



ウンチク(死語?)は、追記します。

墓参り






上様と妹夫婦と合流し、彼岸の墓参り後の蕎麦屋です(西早稲田)。


旬の富山湾・ホタルイカ

と塩麹


【クリミア発】 日本の選挙にも国際監視団を


ポン国の不正選挙(自民党優勢)も疑って観た方が良いだろう!
記者会見する選挙監視団。各国の代表が出席した。答えているのはフィンランドの代表。=17日正午過ぎ(日本時間午後7時過ぎ)、州都シンフェロポル 写真:筆者=
記者会見する選挙監視団。各国の代表が出席した。答えているのはフィンランドの代表。=17日正午過ぎ(日本時間午後7時過ぎ)、州都シンフェロポル 写真:筆者=
 「ロシアへの併合」の是非を問うたクリミアの住民投票(16日実施)には、世界23ヵ国から126人の選挙監視団が現地に入った。アメリカ、イタリア、フィンランドなど西側諸国からの監視員が目立った。親露派による出来レースではなかったのだ。
 クリミア全土の投票所は全部で1,206ヵ所。彼らは手分けして投票所を回った。あるチームは40ヵ所もの投票所を視察した。監視団が出した声明によると「住民投票はクリアで、手続きは国際標準に則っていた」。
 監視団は17日、州都シンフェロポルのプレスセンターで記者会見を開き「1ヵ所を除くすべて(1,205ヵ所)の投票所で投開票が公開されていた」と説明した。(ふつう数ヵ所は手違いが起きる)
 投票当日、筆者も投票所に足を運んだが、全てオープンだった。各国のジャーナリストも各地の投票所を取材している。監視団の説明は筆者や各国記者の取材と符合する。日本の選挙よりはるかに公明正大だ。
 日本は記者クラブメディアのみ取材を許可し、彼らは投票が終わると同時に「当選確実」の報道をする。選挙結果は彼らの予想通りとなる。
 肝心かなめの読み取りと集計はコンピューター任せ。いくらでも細工が可能だ。談合と不正の温床である。
 民主政治の根幹に関わる選挙で、談合と不正がまかり通る可能性の高い国家にこそ、国際監視団の派遣が必要である。
「住民投票はクリアで手続きは国際標準に則っていた」とする声明にサインする各国の選挙監視員。=17日午後1時頃(日本時間午後8時頃)、プレスセンター 写真:筆者=
「住民投票はクリアで手続きは国際標準に則っていた」とする声明にサインする各国の選挙監視員。=17日午後1時頃(日本時間午後8時頃)、プレスセンター 写真:筆者=
   《米国のご都合主義に追随する西側メディア報道を疑え》
 イタリアのジャーナリストは「今回の住民投票は全欧にとって参考となるだろう」と評価した。複雑な民族構成のヨーロッパ各国は、絶えず国内に分離独立の火種を抱えているからだ。
 米国はじめ西側諸国は「クリミアの住民投票は無効である」とする。日本政府もこれに追随する。菅義偉官房長官は17日の記者会見で「ウクライナ憲法に違反し、法的効力を有さない」とコメントした。そうだろうか?
 フィンランドの選挙監視員は次のような見解を示した。「住民投票は市民の権利であり、国際法違反ではない。住民投票を禁じることこそ市民の権利を奪い国際法違反にあたる」。
 コソボ戦争(1999年)で米国率いるNATOがユーゴスラビアを空爆した大義名分は、「コソボのマジョリティであるアルバニア系住民の民族自決を支持する」だった。
 
 現在のロシアと同じスタンスだ。ところが今回、米国やEUは民族自決よりも「ウクライナの憲法云々」と言っているのだ。ご都合主義も甚だしいではないか。
 米国の手前勝手な価値観に基づいた西側メディア報道は、先ず疑ってみる必要がある。
ウクライナ

2014年3月20日木曜日

Bull Power Moki 2.5R




旧東欧圏(冷戦下)の一つ・ハンガリーの国家機関の一部の模型エンジンメーカー
Mokiのレーシングエンジン。
2.5cc タイプS-12で、名門Rossi(イタリア)を打ち砕いた秀作で、John Newtonも1994年世界戦・上海大会で10位・285kphをマーク、そのころIrvine/Peter Holmanが常勝・席巻。

過去にもJim Nightingaleが共産圏のMVVS(チェコ)を1960年代使用。

2014年3月19日水曜日

ぶり照り焼き


当方のポイントは、焼く前のタレの漬けこみ20-30分と塩で水分抜き、三温糖をやや多めに、その後、焼く前に片栗粉でカバーし焼き目つけ、タレでとろみをつけます。

馬に騎乗体験









2014年3月17日月曜日

Free Mason・メイソンの後藤新平

後藤新平―日本の「セシル・ローズ」論
副島国家戦略研究所 中田安彦
(2014年3月15日記)

 明治、大正期に日本の内外で勇名をはせた、殖民(しょくみん)政治家・後藤新平はフリーメイソンであった。この事実の指摘は極めて重要である。この事実は、欧米秘密結社の研究で知られる、綾部恒雄著 『秘密結社』(講談社学術文庫、2010年刊)の中に唐突に登場する。

(引用開始)

 一八九七年(明治三〇年)頃、横浜のロッジを調べようとした日本の警官と、これを阻止しようとしたフリーメイソンの間にトラブルが生じているが、結局、日本政府はロッジを認める代わりに、日本人を会員にしないという条件を出している。ただ、大正から昭和にかけての日本人フリーメイソンとして、山梨半造、山本権兵衛、後藤新平などの名が見られるから、日本人が完全に締め出されたわけでもなさそうだ。

『秘密結社』(一九三ページ)
(引用終わり)

 この記述は綾部の著書の中の一箇所でさらりと述べられているだけである。後にも先にも詳しい話は載っていない。すでに綾部当人は亡くなっているのでこの記述について問い合わせることもできない。しかし、綾部は日本を代表する文化人類学者の一人である。米カリフォルニアに留学し、その後パリで国連・ユネスコの職員として勤務した後、筑波大学の名誉教授にまでなっていることを考えると、嘘を書いているわけではないだろう。

 綾部の言うとおり、後藤が実際にフリーメイソンリーの結社員であったことが事実だったとすれば、これまでの後藤新平研究は、おとなしく言えば、大きな見直しを迫られるし、極論すれば根底から覆されなければならない。

 私は本稿を執筆するにあたり、後藤新平は東日本大震災直後に注目されたように、大正期の関東大震災の後にできた帝都復興院の設立に関わった政治家であることや、台湾の植民地経営については広く研究されているが、後藤の外交人脈については一般向けの著作では近年まであまり詳しく紹介されていない事に気づいた。

 そこで、後藤新平の対外人脈という形で本稿を執筆しようと考えていたのであるが、この「後藤はフリーメイソンである」という綾部の記述に突き当たり、この事実を軸に後藤の外交政策を検証していこうと考えた。いろいろな文献調査をした結果、後藤新平がフリーメイソンのような国際的な市民結社の一員でなければ、当時を考えるとありえない事実が色々見つかったわけで、今回はそれを紹介していきたい。

<これまでの後藤研究のパターン>

 後藤新平という人は一つのものさしで見た場合、全体像を見誤る可能性を秘めた人物である。はっきり言ってしまえば、作家や歴史学者を問わず、これまでの後藤新平研究の全ては、一九二九年に後藤が死去して後に、後藤の女婿である鶴見祐輔(つるみゆうすけ)が代表となり、斎藤實や犬養毅、そして若槻礼次郎といった首相を経験した人物、石黒忠悳(いしぐろただのり)子爵、また、新渡戸稲造が編纂会を結成して編集された『正伝 後藤新平』(現在は藤原書店・刊行)が土台になっている。鶴見は一九二八年に初当選し、戦後にも三木武夫派に所属して一九七三年まで生きた政治家であり、一般的には戦後の代表的な進歩的文化人の鶴見俊輔の父親として知られる。

 この鶴見本から出発点となり、様々な後藤論が生まれている。その代表格が、現在は安倍晋三政権の安保法制懇の座長を務める北岡伸一・元国連代表部次席大使が一九八八年に書いた『後藤新平―外交とビジョン』(中公新書)である。ただ、近年では後藤の植民政治家としての業績に焦点を絞り論じた、渡辺利夫・拓殖大学総長による民族主義的な立場からの著作(『アジアを救った近代日本史講義』PHP新書二〇一三年)もあり、これに加えて、後藤と個人的関係にあった星一(ほしはじめ)を父に持つ小説家でもある星新一による人物評伝や、御厨貴氏らによる日本政治史の中での後藤論、そして、震災復興と都市政策を紹介した本などがある。

 しかし、後藤新平が非常に高く評価されるきっかけになっているのは後藤が持つ国際人脈である。私はそのように断言してもいい。後藤新平の周りの星雲を明らかにすることで、これまでのバラバラになりがちだった後藤研究を一つの線でまとめることができると私は思っている。

<フリーメイソンリーの本質を一言で理解する>

 そこで、私が述べた後藤がフリーメイソンであったという綾部の指摘が重要になってくるのだ。フリーメイソンとはなにか。映画『ダ・ヴィンチ・コード』などの登場もあり、最近ではさすがにフリーメイソンを悪の秘密結社として一方的に断罪する風潮は下火になってきているが、だからといってフリーメイソンリー(フリーメイソンは結社のメンバーのことを指す表現で結社を指す場合はこう呼ぶ)が何であるかということは明確にだれでも納得できる形で示されているとは言いがたい。そこで、私が極めて単純にフリーメイソンリーとは何かということをまず述べる必要がある。

 フリーメイソンリーとは、一言で言えば、「国際的なつながりをもつ様々な職業のトップエリートによる最高度の情報交換のネットワーク」のことである。人間の集まりであり、エリートである以上金持ちの集まりだから、往々にして世間的な基準で言えば、悪巧みが行われる。しかし、本質を言えば、昔は爵位を持った人々、今で言えば、政府高官、企業の重役、優秀な科学者たちの集まり、結社なのである。もとはメイソンリーは、専制君主やカトリック教会の支配に対抗して自分たちの権益を拡大しようとして、その中で知識人階級とも結びついた。例えば、イギリスの自然科学者であるフランシス・ベーコンやアイザック・ニュートンもまた広い意味で言えばイギリスのメイソンだ。

 現在は、フェイスブックのようなSNSが当たり前のように、インターネットが世界中の人間を結びつける役割を果たすが、それでもトップエリートの間ではいまでも外部の人間を寄せ付けない、対面を重視した情報ネットワークが形成されているものである。学生クラブも重要なネットワーク組織であるが、これは同じ大学の出身という共通項でくくられているものであり、フリーメイソンは「自由」「(結社のメンバーの)平等」「博愛」を重視する。異なる職業の人間が集まって情報交換のネットワークを作るといえば、身近なところではロータリークラブ、その女性版であるソロプチミストがある。本質的にはそれらの団体とメーソンリーは同じである。

<後藤新平はいつメーソンになったか>

 以上のようにフリーメイソンリーの理解をした上で出てくるのが次の問いである。「そうか、フリーメインソンというのは、異業種の世界中のエリートが集まった結社なんだな。そこまではわかった。それでは日本人の華族である後藤新平は一体どこでメイソンになったか、それが知りたいので教えてほしい」

 この問いについては、フリーメイソンリーが、異業種の人間の集まる結社であることを踏まえると直ちに答えが出てくるのである。後藤新平は逓信大臣、内務大臣、外務大臣、満鉄総裁まで務めた政治家であるが、元々の職業は医学者である。このことに気づくと後藤新平がどのような経路でメイソンになったかはすぐに分かる。

 重要な事実をあげる。後藤新平は一八九〇年から九二年にかけてドイツ留学をしている。一九三二年に後藤が初めての主要な著書である『国家衛生原理』という本を世に出した翌年のことだ。そこでコッホや北里柴三郎と交流している。ただ、ここで重要なのは、後藤は初の欧州訪問で様々な国際医学会に出席しているのだが、滞在の最後の年にローマで開催された「第五回万国赤十字会議」に出席しているという事実について知ることである。

 万国赤十字は国際赤十字と今では呼ばれるが、その創始者は、YMCA(キリスト教青年同盟)世界同盟の創始者であるパリの医師アンリ・デュナンであることはよく知られている。そして、デュナンは有名なフリーメイソンであり同時にテンプル騎士団員である。このことはカナダのブリティッシュコロンビア州のフリーメイソンのロッジ(支部)のウェブサイトで容易に確認可能な事実であるからまず疑いない。そして、日本赤十字の前身である組織は「博愛社」と呼ばれている。この博愛こそがフリーメイソンの掲げる「自由、平等、博愛」であることは言うまでもない。 

 博愛社は、明治一四年(一八八三年)にベルリンで開催の衛生及び救難法の博覧会に際し、欧州における赤十字事業の調査とその加入を前提に作られた組織である。その加入の際に活躍したのがお雇い外国人である、アレクサンダー・フォン・シーボルトという外交官と、その弟のハインリッヒは明治期の有名な「お雇い外国人」である。江戸時代に日本から世界地図を持ちだしたとして知られるオランダ商館駐在員のシーボルトの息子たちだ。明治期の日本が世界にデビューする際に動いた。ここで重要なのは、後藤は、第五回万国赤十字大会に出席した際にはこのアレクサンダーとともに日本赤十字社委員の立場での参加であるということだ。

 ここから推定されることは、後藤はこの万国赤十字大会が開催された一八九二年(明治二五年)までに、フリーメイソンリーの一員として迎え入れられたということだ。後藤はドイツ留学の折は私費留学のはずだったが、実際は内務省職員だったために官費として一時金一〇〇〇円を提供されている。後藤の一回目の訪欧は各地のロッジでのメイソンたちとの交流があったはずだ。後藤は帰国後、明治天皇に赤十字会議の結果報告を行っている。イギリスの属国として開国を果たした日本にとって、メイソンらのネットワークからもたらされる情報はよくも悪くも貴重であった。

 後藤はこのドイツ留学を含めて、欧米諸国に都合三回外遊している。当時は飛行機がなかったので、世界一周の外遊となれば船と鉄道を乗り継いで、短くても一年かかりのものとなり、同時に巨額の資金が必要だった。だから限られたエリートと認められなければ外遊などできなかった。ここが現在の感覚ではわかりにくいところである。フリーメイソンであることはその重要な判断基準であったわけである。

 このようにして国際人(ルビ:フリーメイソン)・後藤新平が誕生した。

 国際人脈というのは重要な人物を知っていればそれが次々とつながり、結果的に自分自身が「重要な人物」になるというものである。そのようなつながりの中心にいる人物を「ビッグ・リンカー」と呼ぶ。あるいは、よく「ロックフェラーやロスチャイルドが世界を支配している」などと言われるのは、彼らがそのような人脈を重層的、多角的に蓄積しているからだ。

 後藤は、ロシアや中国を除いた欧米諸国には、この後一九〇二年、一九一九年に外遊を果たしているが、この時に面会した人物のリストを見ると、後藤が国内での実績を積みながら、同時に国際人として人脈を蓄積していることがわかるのである。特に、この二回の外遊はいずれも通訳に新渡戸稲造(にとべいなぞう)を同行させている。

 新渡戸は、後藤と同郷の岩手出身である。後藤がその力量を見込んで、陸軍の児玉源太郎が台湾総督だった時代に民政長官として台湾の製糖産業を振興するために、一九〇一年にわざわざ呼び寄せたのである。翌年、台湾に新渡戸の意見にそって台湾製糖業奨励規則を発布し、当無極を設置して一仕事終えるのと前後して、後藤は新渡戸と横浜から米国に出航している。

 新渡戸はクエーカー教徒としてアメリカでの人脈を作った知識人・技師であるが、メイソンであるかはわからない。しかし、このメイソンリーとクエーカー主義の2つは親和性がある。後に詳しく触れるが、後藤は先に紹介した正伝を編纂した女婿の鶴見祐輔を新渡戸の秘書としている。そのようにして後藤人脈は新渡戸人脈と結びついているわけである。

<もっとも重要な三回目の外遊>

 だが、後藤新平の外遊でもっとも重要な意味を持つのは、三回目の一九一九年の欧米歴訪である。先に述べたようにここには後藤の盟友である新渡戸が常に通訳として付き添っていた。

 この外遊がなぜ重要なのかというと、第一次世界大戦が終わり、アメリカが新しい世界覇権国として確実に存在感を示し始めていた時の訪米だからである。この年は一月には世界大戦の後始末を行うパリ講和会議に講和大使となった西園寺公望が、牧野伸顕らと一緒に出発しており、後に後藤らの一行と一時合流している。そこで新渡戸が戦後の国際秩序を管理するための国際機関として設立されることになった、国際連盟の事務次長に転出することが決まるのだが、それは別に譲るとして、ここで重要なのは、後藤が外遊でどのようなアメリカ人と交流したか、ということである。

 後藤は、すでにこの一九一九年にはすでに外務大臣を経験済みである。外遊の折の訪米メディアでは、「次の総理大臣」として後藤を紹介する論調がある。後藤が初めて大日本帝国政府の閣僚として登場するのは、一九〇八年に発足する第二次桂内閣の逓信大臣である。ついで、やはり一九一二年発足の第三次桂内閣で同じく逓相となり、第一次世界大戦中の発足した桂と同様に長州系(山県有朋系)の政治家である寺内正毅(てらうちまさたけ)の内閣で内務大臣を、続いて当時の外相が病に倒れたため、外務大臣の重責を担うことになる。

 後藤は台湾総督府時代に児玉源太郎の信頼を受けて民政長官に任命されたことはすでに述べた。児玉は、後藤とは日清戦争終了後の防疫事務を通じて関わりを持つようになっていたが、後藤のテクノクラートとしての力量を高く評価したようである。

 後藤の台湾総督府民政長官の経験は他で論じつくされているので、あえて詳しくは述べないが、後藤が台湾の原住民の昔ながらの慣習を調査させながら台湾を統治したことや、台湾経営の資金を作るために阿片を全面的に禁止しなかった阿片漸禁政策を掲げたことだけは述べておく必要がある。この徹底した旧慣調査や阿片政策がこの後に赴任する満鉄総裁の時にも生かされているからだ。

 それは、「ビジネスを発展させること植民地の経済的自活を促し、同時に武断的な植民地統治を行わないことで植民地の原住民を日本に経済的に依存させる」というし植民地経営手法として定式化されている。中国大陸とは異なり、台湾で親日的感情がいまも根強いのはこの後藤の「植民地支配」ではなく「植民地経営」という発想があるためである。

 つまり、後藤は行政官僚=テクノクラートであると同時に、実業家でもあった。台湾総督府に来た時点で後藤はフリーメイソンだったから、そのネットワークを駆使し、イギリスの東インド会社などの欧米植民地支配をケーススタディしたはずだ。欧米植民地支配の欠点は、旧慣調査を採用して原住民を懐柔し、富ませるという発想が生まれたのだろう。このやり方が中国大陸の満州経営でも最後まで貫かれていれば、帝国陸軍や海軍が中国国内の反日運動を掻き立てることはなかっただろう。

 後の外相・松岡洋右(まつおかようすけ)は、後藤が満州にいた折、中国大陸で役人をしていたが、その折を「後藤新平総裁が旅順の偕行社(注:陸軍の親睦クラブ)に行かれて、『満州に来ると皆が軍人病にかかっている』と喝破せられた」と回想している。後藤の植民地経営思想、外交思想は「文装的武備(ぶんそうてきぶび)」と言われる。

 これはリベラルの政治思想の流れにあるもので、「経済的に投資しあってお互いが発展すれば、日中が共存共栄できる」という、経済的な立場からの「大アジア主義」であるといえる。後藤は過度に軍隊が植民地経営に関わることを嫌った。後にも述べるが、後藤が三菱財閥の女婿でありながら、外交政策では失策続きの政党政治家・加藤高明(憲政会総裁、外相、総理大臣)を批判し続けたのは、外務官僚上がりの政治家には、ビジネスの発想がなく、近視眼であることが強く影響していると思われる。

 鶴見による後藤正伝を読むと、旅順・大連などの海に面した港を商業港にして日支間の貿易を盛んにしようという発想もあった事がわかる。現在、渤海湾に面した大連が中国の一大商業都市やテクノセンターとなり経済特区の恩恵を受け、同時に現在のフリーメイソンリー的組織である「世界経済フォーラム」の地域分科会であるサマーダボスの開催地となっていることからも、後藤の発想は現在にも通用するものであることがわかる。
(以下次回)