ページ

2014年11月29日土曜日

まあた、おぞましい裏話

いやはや、頑張る産経新聞にちょっとおもしろい記事があったので、それをメモしておこう。以下のものである。
虫が良すぎる?ノーベル賞・中村氏の“復縁”申し出、“大人の対応”で拒絶した日亜化学…わだかまり示す証拠を発見

 過去は忘れましょう-。ノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授が、発明の対価をめぐり法廷闘争を繰り広げた元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に関係修復を呼びかける一幕があった。両者の関係は歴史的な雪解けを迎えると思われたが、日亜化学側は中村氏との面談を“大人の対応”で拒否。和解から10年近く経てなお残る天才研究者と企業のしこりが浮き彫りになった。一方、日亜化学の二の舞を避けようと、製薬業界などでは優秀な人材の流出を防ぐ動きが広まりつつある。(板東和正)

虫が良すぎる?

 「互いに誤解していた」

 中村氏の日亜化学に向けた「仲直り宣言」が飛び出したのは11月3日。文化勲章の親授式後に行った記者会見だ。中村氏は会見で「人生は短い。けんかしたまま死にたくない。(日亜化学と)共同研究など将来のことを話したい」と述べ、同社に訪れて関係を修復したい意思をのぞかせた。

 中村氏は昭和54年に日亜化学に入社し、平成5年に青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功した。だが、退職後の13年に特許の正当な報酬を求めて日亜化学を提訴。16年に東京地裁が日亜化学に200億円の支払いを命令し、翌年に約8億4千万円に減額して和解した。ただ、裁判が決着しても中村氏の怒りは収まっている様子はなく、ノーベル賞受賞の決定後にも「日本の会社で発明したとしてもボーナスをもらうだけ」などと発言。日本企業への不満を隠していなかっただけに、突然の態度の軟化に業界関係者からは「奇跡のような展開」と驚きの声が上がった。

(以下省略)

中村修二博士の「和解提案」騒動には実に驚かされたが、日亜化学の「紳士的応答」にもまた驚かされた。
ジャイアンをなだめるしずかちゃんという感じだろうか。

中村さんは、とにかく意固地になるとほかが見えなくなるというところがあるようで、実はこれが半島系の遺伝子を遠くに受け継ぐ人に共通である。

戦後以降に日本に不正移民したものが、いわゆる「在日韓国人」だが、明治時代に日本に入国し、日本人に帰化した朝鮮人(=南北朝鮮人)も数知れない。そういう人たちは名前も顔つきも言葉も国籍も日本人である。しかしながら、血筋は争えない。今現在の半島人と共通する性格がある。同様に、古代の百済から来た坊さんたちもまたそうである。

この人々は、iPS細胞の山中教授もそうだが、特有の「朝鮮ハゲ」をする場合が多い。まさに中村さんのように禿げる。遺伝子は正直である。

さて、そんな中村さんだが、その記事にある日亜化学の主張という「格外の待遇を処した」というのは、これまた事実であった。

中村博士が、まだ博士でも何でも無く、大卒で日亜化学に入社した頃の、日亜化学は従業員200人以下。それでも地元阿南の大企業であった。それが今では従業員5000人。毎年数百人の新入社員が入社する。

その当時の日亜化学の社長さんが、手厚く中村博士の面倒を見た。いわば、守護霊であった。その御蔭で自由気ままにできたわけだ。だから、1億円以上もする(20年前の金額で)高額の装置も、またそれくらいの費用を掛けて留学もさせてもらえたのである。

なぜなら、博士号も何もない人間がアメリカのトップレベルの大学の研究室に入るということは普通は事実上不可能だからである。そういう場合には、1人の社員を学生にしてもらうために多額の寄付をしなければならない。これが常識の、正統的な決め事である。だから、そういう多額の寄付の下に中村さんが米フロリダ州立大に行けたというのは事実である。私のように、個人的に米大学のTA奨学金を得て留学するのとはわけが違うのである。

だから、そういう途方も無いことを先代の社長さんが果たしてくれたということは、中村さんは最初から「破格の待遇」をもらっていた証明ということである。会社の中では「エリート中のエリート」だったのである。だから、逆にそれに嫉妬するものもいたはずである。今の社長もそういう一人だったかもしれないのである。

幸い、それから何年かして中村博士が青色発光ダイオードを発明した。企業としては当然その特許は会社のものになると当然考えたはずである。何億円も投資しての開発だったわけだから。

ところが、中村さんは特許は自分で密かにとったものだということで、ご周知の「特許裁判」に持ち込んだ。その後は我々のよく知る展開になった。

アメリカの在日韓国系の弁護士が、日本企業に揺さぶりをかけるために食いついた。そして、将来のノーベル賞級の中村さんをたぶらかして、日亜化学を悪者にし、その漁夫の利が米UCSBに行った。本当は、米企業がスレーブ中村さんを獲得するはずだったが、結局高額の給料で、サンタバーバラ校がゲットしたのである。そして、そこには中村博士がトップの一人である専門の研究所ができた。周りは全部シオニストのユダヤ系の学者である。もちろん、彼らの背後にはサムソンもアップルもその他の米企業がくっついている。

ノーベル賞を取るまでは、中村さんは日亜化学を目の敵にしていたのである。ノーベル賞を取ってからもさらにヒートアップしていた。

ところが、中村さんは韓国に行った直後から、雲行きが変化した。

なぜ?

俺の個人的印象では、南朝鮮人に入れ知恵されたのだろうということになる。つまり、仲直りして、「俺達南朝鮮人のトロイの木馬になれ」と。そうして、日亜化学と仲直りして、後々サムスンやLG電子と提携を結ばせ、一気に乗っ取る。

とまあ、そんな戦略に来たのではなかろうか?


俺が中村さんに聞きたいのは、
あんたが入社できたのは、日亜化学という会社は基本的に徳島出身地元出身者しか採用しないという鉄の掟を持った会社だったからではなかったのか?あんたはそれをもう忘れてしまったのか?
ということである。

私が中村さんと初めて面会した時(1996年夏)、中村さん自らの口から
この会社は一切すべてにおいて同業他社と提携しない会社として有名なんだよ
と俺は聞いたよ。

もしこの言葉が今も生きているはずであれば、当然、「和解したい」といったって無理だ、そういう問題ではない。それは会社の性格の問題であって、企業の精神の段階から「同業他社とは手を結ばない会社」だったはずなのである。それを悪くいうことはできない。

自分が無名の頃にはこの会社精神で救われたのに、今度自分がノーベル賞をとって有名になれば、今度は「その精神を捨てろ」というのは、これは「虫がよすぎる」以前の問題だと俺は思う。他社への「内政干渉」である。「や・り・す・ぎ」であろうということになる。

一度離婚した男女が、「もう一度やり直したい」といったってどだい無理。それよりは「お互いに別々の道を歩もうよ」ということになる。

俺もそれに大賛成である。売国奴には売国奴の人生を歩んでもらう他ない。

残念ながら、それが自分が選んだ人生なのだから、いまさら寄りを戻そうというのは、ガキの戯言ですナ。


もう我々日本人はこの人のことは害人として忘れた方がいい。近づくと「韓の法則」発動となるだけだろうナア。俺はそう感じるヨ。

問題は、半島人特有のメンタリティーの例の「愛」というものである。「略奪愛」「サイコパスの異常な執着粘着愛」である。俺はこれを恐れる。

たぶん、中村さんは、しつこく、まるでストーカーのようになっていくんじゃなかろうか?

うわ〜〜こわ〜〜、というやつだ。


くわばら、くわばら。

ノーベル賞も「終わってます」ナ。いやはや、世も末ですナ。

0 件のコメント: