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2014年10月20日月曜日

律令体制においては、霞ヶ関官僚には、天下りする権利がある

 政治は国民を写す鏡であり、政治家をバカにした所で自分に唾してるようなものだ。
日本の問題は犯人かを捜しても、原因を辿ると、最後には国民の価値観や甘えに行き着く。官僚の天下り問題も、優秀な人間をあまりの安月給で深夜までバカな政治家のためにコキ使うからこそ生まれた自衛措置でもある」


 まず、このつぶやきから、後段の問題です。
 なぜ官僚たちは、天下りをせざるをえないのか?

 シチローさんが、ズバリ、理由を言い当てています。
 安月給で、国を動かすほどの仕事を任せられることへの欲求不満が、退職間近になって、爆発、と。
 現役中は、どうしたって、公務員の給与規定で決められた額しか支給されません。
 それでいて、たとえば経産官僚は、原発推進の中核として動く、と。これでは、費用対効果、がつりあいません。つまり、官僚にしてみれば、「おれはこれだけの国家的大事業をしているのに、給料はなぜこれだけなんだ?」

 というわけで、天下りとは、官僚たちの、生活自衛装置です。
 この問題は、もうずっと古くから知られています。
 私が知るだけでも、「構造と力」で評判になった浅田彰。1990年代頃だったか、京大の教授になった頃か、なる前か、詳しい日時は忘れましたが、ある日、NHKラジオに出演しました。そこで、霞ヶ関官僚たちの待遇不満を代弁していました。

 「たとえばですよ、大学のときの同級生が、一方は、霞ヶ関官僚になり、他方は、三菱に行きます。両方とも、それぞれの仕事で大志を持っているかもしれないし、たまたまそうなったのかもしれません。問題は、民間の三菱に入ったほうが、会社づとめをしている間は、収入は圧倒的に優遇されることです。
 公務員になったほうは、公務員法で給料は決まっている。三菱のほうは、重役などになれば、年収が億の単位に行く。
 大学時代は、能力的には、ちょぼちょぼだった人たちです。これでは、霞ヶ関に行ったほうが、不満を抱くのは当然です。
 天下りは、その結果です。」


 だとしたら、問題は、霞ヶ関官僚の給料をアップすれば、解決するのか? 彼らの現役時代の収入を、三菱重役程度とする、と。(三菱は、商事でも、マテリアルでも、自動車でも、どこでもいいです。たとえば、の話ですから)。

 では、霞ヶ関官僚だけ、給料をアップしたら、他の公務員はどうなるのか?
 彼らは、あまねく公平に、国民に奉仕する公僕ではないのか?
 そこに、給料格差をつけてもいいものか?

 さて、次のつぶやきです。
 官僚問題は、問題の半分です。
 もう半分が、この国の「政治家」と呼ばれる人種です。

 * 「Shichiro Miyashita @shichirom     ?  9時間 9時間前

官僚のサボタージュを恐れるのは、政治家の勉強が圧倒的に足らず、政策立案から国会の答弁まで官僚にお世話になるからだ。勉強しない政治家が大臣や総理になれる先進国は日本だけだ。政治家に政策能力ではなく、地元にカネを引っ張ってくる事か冠婚葬祭に出てもらうことしか期待しない国民に責任がある」


 なぜ日本の政治家たちは、国会で居眠りできるのか?
 といえば、国会での答弁にはシナリオがあるからです。そのシナリオを書いているのが、官僚たち。だから、彼らは、正々堂々と「天下り」を制度化してしまっています。自民党時代は、いつもそうです。

 そこで、自民党の代議士とは何か、です。
 この人たちは、政策をめぐる議論によって、国会議員になった人たちではない、という点が、ミソです。
 「地元にカネを引っ張ってくる事か冠婚葬祭に出てもらうことしか」と。

 自民党議員には、国会の場での政策論争はまったく期待されていません。
 彼らの集票力は、政策論争力ではありません。
 冠婚葬祭力です。

 これは何か、といえば、有権者が、国会議員に、政策論争をまったく期待していない、ということです。
 それよりも、オレの持っている一票を、買ってくれないかな、と。

 以上を整理すれば、官僚には天下りする、それなりの「権利」があるし、自民党政治家には、居眠りするだけの、それなりの「権利」があるということです。
 そうさせているのは、有権者です。

 で、そうなると、日本人の有権者は、なぜ、国会議員に「政策論争」を期待しないのか、となります。
 ここで堂々めぐりになりますが、日本人は、この国の体質が、律令体制であることを、心底、体感しているためです。
 この国は、神代(かみよ)の昔から、官僚が統治する国である、と。

 この、日本人の潜在意識(無意識)にまで刷り込まれた不比等戦略をナントカしない限り、日本の政治は、らちがあかないでしょう。

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