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2014年5月27日火曜日

国連の「敵国条項」削除決議を実現化させよう

1945年の敗戦から6年後の1951年9月8日、日本が世界48ヶ国と結んだ条約が「サンフランシスコ講和条約である。しかしこれまでも私は自著で幾度も指摘してきたが、この条約の正文は英語版とフランス語版、スペイン語版しかない。この条約の当事国は日本であるのに、日本語版が準正文扱いになっているのはどういうことなのだろうか? 日本国内ではこの条約によって「主権国家」として独立したことになっているが、条約の正文英語版にはindependent (独立)の文字がどこにもないのはなぜなのだろうか?

   この調印式の前には3日間にわたり会議が行なわれ、そこに集まった戦勝国側の各代表はそれぞれが自国の有利になるように総力を上げ、しのぎを削った。つまり敗戦国日本が放棄した海外資産などのほとんどは、イギリスやアメリカなどの大国に独占されていたので、フィリピンやオーストラリアの代表団はそれは不平等だといって抗議していたのである。

   会議の終わりに吉田茂は、日本から持参した英文のスピーチ原稿を読む予定であった。ところがアメリカ代表団のウィリアム・J・シーボルトによってその原稿はチェックされ、結局、シーボルトらが書き直したものを吉田は読まされたのである。

   終戦直後であれば日本からの全権団もこれほど弛緩することなく、国益を守ろうと必死になったはずで、戦争の原因に関しても日本側からの激しい弁明もあったはずだと思われる。しかし終戦後の6年間にわたるGHQ の占領期間を通じて、日本の政官財界の中枢は完全に牙を抜かれていた。ゆえに本来重要であるはずの講和会議もまったくアメリカ任せに
してしまったのであった。

   その結果、アメリカ側の一外交官が、現役の一国家の代表であり首相が行なおうとしていた演説を手直しさせて読ませるという、あり得ないことが行なわれるのを許したのである。すでに当時の日本人の中には、「何をするにもまずアメリカのチェックが入ってから」、「とりあえずアメリカの言うことに従っておけばいい」といった意識が浸み込んでいた。それが日本の全権団の会議中の居眠りであり、首相の原稿のチェックに意義を申し立てることすらしないという理由だった。そしてこういう記事を読んでも、何の違和感も感じることのなかった当時の日本国民に一番問題があったのだ。

   日本は上から下まで、このようにすべからく”弛緩”していたのである。
   「アメリカが何とかしてくれるはず・・・。」 終戦後の6年間のアメリカの占領は、日本国民をすでに徹底的にアメリカ依存体質に貶めていたのである。これが日本とアメリカの関係の始まりである。

   連合諸国は、サンフランシスコ講和条約の会議中、日本議員団の会議中の居眠りと、また首相の原稿の差し替えにも抗議しないその姿を見て、当時の日本がどんな国であり、どのように接すれば自分たちの国益を満たせるかを学んだのである。以上がサンフランシスコ講和会議の実情であるが、この条約に果たして日本語の正文が必要だと彼らは考えただろうか? 「首相の原稿まで差し替えられて黙っている国に、正文など必要ないだろう。手ぶらでは帰れないだろうから、日本語訳のものをあげよう。それを国内で発表しなさい」ということだ。この日に日本が独立した? 「バカも休み休みに言え」と言うべきだろう。

   サンフランシスコ講和条約によって日本が得たものは、名ばかりの主権であった。
   いやむしろ、条約そのものが名ばかりだったと言うべきだろう。たとえば第5条で、日本は「武力による威嚇または武力の行使は(中略)いかなる方法によるものも慎むこと」とされたが、「個別または集団的自衛の固有の権利を有すること、および日本国が集団的安全保障取極めを自発的に締結することができる」とも承認されている。つまり、武力行為は慎め、しかし自衛権はあるという矛盾した内容なのである。

   それも仕方のないことで、連合国48ヶ国との条約であるから、各国同士の思惑が絡み合ってどうしてもそうした玉虫色の表現になってしまうのである。この矛盾を解消するために用意されたのが、同日に締結した「日米安全保障条約」ということで、日本の自衛あるいは侵略行為は米軍が責任を持つという関係である。ただし講和条約はその前文で、国連憲章を遵守すべきとなっているので、その大前提に国連憲章ありきの構造なのである。つまり、国連憲章には有名な「敵国条項」があり、日本の自衛権はここで大きく制限をかけられている。

   つまりサンフランシスコ講和条約は、これだけではなんの意味もない条約であり、日本の独立について何1つ具体的に書かれたものはなかったのである。私がこの条約には中身がないというのはこういう理由からである。

NHK と命名したのはGHQ   

   
日本放送協会が特殊法人として設立されたのは1950年である。
   現在の「国営」放送NHK の誕生である。もっとも日本放送協会自体は戦前からあったが、その社団法人を継承したものが現在のNHKである。それはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのプロデュースを行なっていた、日系アメリカ人・フランク・馬場がNHKの名称にゴーサインを出した。(石井清司著 『日本の放送をつくった男―フランク馬場物語』 毎日新聞社刊) NHKの本放送が開始されたのはサンフランシスコ講和条約後、GHQが解体された9ヶ月後のことであった。

   その当日の放送は、米国で10日前に行なわれたアイゼンハワー新大統領の就任式の実況映像であった。開局式典とは単なるセレモニーであるが、その日本で始めて放送されたテレビのプログラムは、アメリカ大統領を主役としたものだったのだ。また同年の8月28日には、正力松太郎による日本テレビ放送網が開局している。正力はCIAのスパイであったことはすでによく知られているが、彼がCIAから渡された資金によって所有した讀賣新聞や日本テレビを通じてCIAが情報操作していたことは、彼のポダムという暗号名などで記録されたアメリカ公文書図書館の文書に明らかにされている。

   それまでのアメリカによる情報操作は主にラジオを使ったものであったが、講和条約後の情報操作はそれ以来テレビに切り替えられた。テレビは本来、アメリカ文化を日本国民に刷り込むものとして使われたが、反共思想を強固なものとする思想教育を行なうための目的も隠されていた。そしてこの反共思想プログラムは、現在でも日本のメディアに意図的に深く突き刺されたままになっている。

   それが日本人の多くが未だにロシアを必要以上に怖れたり嫌ったりすることであり、その原因はこうしたプログラムが未だに効果を上げている証拠といえる。このようにして煽動されていたことに気がつくならば、日本の真の国益を考えるとき、ロシアに対する思い込みというイメージについて、今一度考え直す必要があることも見えてくるだろう。

国連憲章の敵国条項   

   
敗戦から70年が経ったが、講和条約後の日本では引き続き、メディアによる情報操作
の動きは延々と現在まで続いている。しかしこうした事実が人々に露わにされ始めるにつれて、日本人の意識は変わって来ている。やっと真実に気づき始めたと言っていいだろう。ただし、ある問題だけは未だに変わってはおらず、それが日本人にとって根源的な問題としてある。それが国連憲章の敵国条項である。これは国連憲章の第53条、第77条、第107条の規定であり、特に重要な部分は第53条だろう。

   「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取り決めに基づいて、又は地域的機関によってもとられてはならない。もっとも、・・・この敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極めにおいて規定されるものは、関係政府の要請に基づいてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負う時まで例外とする」

   ここで言う”敵国”とは、第二次世界大戦中の敵国を指しており、解釈によってはさまざまな国が敵国とされるのだが、日本とドイツだけは常に敵国認定がされている。これを踏まえて第53条を分かりやすく言うと、国連加盟国はいかなる戦闘行為も安全保障理事会の許可が必要であるが、例外的に、”日本およびドイツなる敵国”が侵略政策の再現をもくろんだと想定された場合、これを事前に防止するという意味で、敵国に対しての戦闘行為は例外的に許可される”ということである。

   つまり、”戦争の準備を始めている”と近隣の諸国が”判断した”だけで、”日本とドイツには攻撃してもいい”と、国連は認めているということなのである。これはたとえば、日米安保条約を破棄し、独自の軍隊を作るための憲法を制定した途端、侵略戦争の準備を始めたと言われて、先制攻撃を受ける可能性を否定できないということなのだ。

   これが、今の日本の現状なのである。
   保守政党が言っているように、独立国としての日本を真剣に希求するのであれば、9条の改正などなんの意味もないのである。変えるべきは国連憲章なのである。ここを多くの日本人が勘違いしているのだ。国内法にしか過ぎない憲法に固執したところで日本の立場は何も変わらないのであり、国際法である国連憲章の存在を忘れてはいけないのだ。

   もちろん、日本だってこれまで手をこまぬいていたわけではない。
   1995年には、国連憲章の敵国条項は国連決議によって削除することが決まったのである。これは日本とドイツのロビー活動が功を奏した結果であるが、しかし現在に至るまでなおそれは履行(りこう)されてはいない。なぜなら国連憲章の改定には、すべての常任理事国および国連加盟国の3分の2以上の批准が必要だからだ。敵国条項削除のためには国連決議に加えて、アメリカ、中国、ロシアなどでの国会での承認が必要となる。しかしそんな承認は、どこの国もしないのが現状である。

   ということは現実問題として、”敵国条項”を外すのはほぼ不可能ということである。
   しかももっともやっかいなのは、敵国条項が現在でも生きている、ということである。現に旧ソ連との北方領土問題では、ソ連は敵国条項を持ち出し、自国の主張を通そうとした。ただしロシアは1991年の日ソ共同宣言で、敵国条項は持ち出さないという取り決めができている。

   問題なのは中国である。
   尖閣諸島領有問題で日本と争っている中国は、現在アメリカにおいて「敵国条項によって国連決議なしで日本を攻撃できる」というロビー活動を行なっている。このように国際問題が起きるたびに、日本は敵国条項を持ち出されて譲歩を迫られているのであり、これが日本の戦後の歴史なのである。ゆえに日本は、絶対に敵国条項を外さなければいけないのである。そうしなければ日本の戦後は終わらず、日本の独立も始まらない。

   しかし政府による、敵国条項を外す方策は尽きている。
   少なくとも日本の官僚たちはそう感じているから、現在、ロシアと中国が敵国条項を持ち出しているという事実を大きく報道させないのだろう。では日本は永遠に、敵国条項に縛られたままでいなければならないのか? 問題は、官僚たちがやってきた正攻法だけの戦い方にある。削除の決議までされていながらそこから先に進まないということは、そのやり方ではもう解決できないのである。

   もっと根本的な考え方をすることで、初めてこの問題の解決法が見えてくる。
   その糸口が、国際連合、国連とは何かということで、国連とは戦勝国クラブのことであり、それは決して紳士的な集まりではない。そのことは国連の通常予算分担比率を見れば一目瞭然である。アメリカも中国もロシアも分担金はほとんど払っていない。払っているのは日本であり、しかも常任理事国ではない日本が、100%の分担金を支払う拠出額最高国なのである。

   そうでありながら常任理事国になることを許さず、敵国条項も外されないのは、国際連合というのは名ばかりで、国連というのが単なる戦勝国クラブであるからだ。私たちはそろそろ、この事実を直視しなければならない。そして直視することによって初めて見えてくることがあるのだ。

さらば、
敗戦国大日本帝国JAPAN   

   
日本は敗戦国である。
   だから本来、国際連合とは戦勝国クラブであるゆえに、敗戦国が加わる組織ではない。つまり、日本は国連を一度脱退して、戦後をご破算にすることが必要なのである。正攻法ではすでに「万策尽きて方策はない」、ということを頭に入れて読み進めていただきたいのだ。

   そもそも日本人は日本のことを”日本”と思っているが、海外の人々は何かことが起きれば「日本帝国の復活だ」として日本から金と譲歩を引き出そうとする。また日本の英語表記はJAPAN であり、国連憲章もサンフランスシコ講和条約もJ
APAN として調印している。日本人は”日本”のつもりでサインしているが、海外では”大日本帝国”としてサインしたと思っているようである。だからこそ国連憲章もサンフランシスコ条約もいまだに有効なのである。つまり、JAPAN は連合国にとってもいまだに紛れもなく敵国・大日本帝国なのである。

   ではどうすればいいのかと言うと、大日本帝国であることをやめて名実ともに”日本”になればいいのであり、それが国連からの脱退である。大日本帝国”JAPAN ”は国連から抜けてすべてをご破算にして、改めて国連に再加入すればいいのである。その時、国名は日本人にとってごく自然に感じられるNIHON、あるいはNIPPONに変えて加入するのがポイントである。NIHONはまったく新しい国であるから、敵国条項から自動的に外れることは言うまでもない。

   すでに正攻法はやり尽くして方策はないのである。
   そうであればこの方法は検討に値すると私は思う。実際にインドネシアは一度国連を脱退し、再加盟している。もちろん、ことは国名変更であるから大事なことであるが、しかし国民のコンセンサスはそれほど難しくないと思う。なぜなら古来より日本人は、日本のことを日本と呼んできており、自らの国をJAPANと呼んだことなど1度もない。この呼び名は本来、外国が「黄金の国ジパング」と勝手に命名したものが由来であり、日本人の感覚としてはこのほうが不自然なのだ。

   日本は日本人が呼ぶようにNIHONでいいだろう。
   そして再加入する際にも、常任理事国入りを求めたりせず、分担金も他国が払わなくてもこれまで通りに払う。NIHONが望むのはただ一つ、敵国条項の削除だけなのである。それでも文句を言ってくる国はあるだろうし、おそらく中国は、敵国条項を外して侵略の準備を始めると文句を言うだろう。しかし我々は、”すでに国連で決議された敵国条項の削除”を実際に現実化させる道を実行しただけなのである。しかも本当に侵略戦争を始める気であるならば、国連に再加入する必要などない。

   そうではなく、この再加入は「NIHONが恒久的な平和への誓いを内外に宣言する」ためのものなのである。連合国によってでもなく、アメリカによってでもなく、日本が自らの手で過去の戦争の幕引きをするのである。これが真の終戦であり、日本の独立なのである。真の独立を果たせば、アメリカの属国といった瑣末(さまつ)なことからも解放される。なぜ瑣末な話かといえば、対米従属とは実はアメリカが日本に押し付けたものではないからである。つまり日本が積極的にアメリカに媚びていった部分が大きかったことは否定できない。対米従属を利用してきたのは、アメリカだけではなく日本でもあったということだ。

   日本の権力者たちが、時にGHQに、時にウォール街に、またアメリカ政府にと、自分たちの都合に合わせて擦り寄っていった結果が対米従属なのである。それに対してアメリカは国益や自らの利益のために、近付いてくる日本人を利用していたに過ぎないのだ。つまり日本国民の真の敵は、自分たちの利益と富のために日本を売り渡し、アメリカを利用する、日本の権力者たちなのである。私たちが戦うべき相手は彼らなのである。

   日本は敗戦国であり、敗戦国は戦勝国によって蹂躙(じゅうりん)される。
   我々はこの事実から眼を逸らしてはならないのであり、もし逸らしてしまうならば永遠に蹂躙されたままである。しかしそれを正面から捉え、知恵を振り絞って対処すれば覆すことは可能なのだ。敗戦直後の日本は、それから眼を逸らし、経済にのみ力を注いで邁進してきた。それはほとんど成功したかに見えたが、結果、経済にばかり傾注するあまり、多くの重大な問題を置き去りにしたままにしてきてしまった。

   そのツケが今噴出しているのである。
   中国との問題などはそのいい例である。領土防衛の問題、再軍備の問題、そして敵国条項の問題である。日本という国が自分たちの問題として解決しなければならない問題であるのに、私たち日本人は心のどこかでアメリカに頼っている。日米安保条約をよく読めばわかるが、基本的にはこの条約は抑止力にしかならない。

   たとえば中国は、経済混乱から近い将来内戦が起きるリスクが高まっているが、その場合は日本も巻き込まれる可能性がある。そうなれば中近東で戦争が起きる可能性もある。アメリカは自国の国益から動くので、日本の防衛よりは中近東での戦争に力を割くだろう。私たちはそれを知っているはずなのだ。以前はそのような議論を多くのメディアが行なっていた。

   しかし人は、自分の見たい情報しか見ることができない。
   私は常々、無知は最大の罪だと言ってきた。無知とは何かと言えば、情報にアクセスしないことではなく、眼の前にある情報を見ないことを言うのである。見たくないものから目を逸らし、触りたくないものを放置してきた私たち日本人は、戦後の70年間をそうやって生きて来たのだ。しかしいまや、もうそれは通用しなくなっている。これまでの日本は、面倒なことはすべてアメリカに押し付け、その代わりに従順を誓うことで両国の関係はうまく回ってきた。

   ところがそのアメリカが衰退して来た現在、日本は新たな道筋を選択しなければならない。新たな宗教の神を探すように、新たな従順を誓うどこかの国を探すのか、それとも真の独立を果たすかなのだ。私はもうそろそろ、戦後は終わらせるべきだろうと思っている。日本は今、自分の足で立ち上がるべき時であり、問題はどう立ち上がるか、なのだ。

   私たちは世界最大の経済大国に見合った責任を持つ国になるべきだと思っている。
   他国の庇護を当てにしたり、かつての大国を足蹴(あしげ)にすることなく、正々堂々とやることである。それこそが問題を解決する一番の近道なのだ。





      book 『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』 苫米地英人著 ヒカルランド

                           抜粋

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