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2014年4月20日日曜日

書評

副島隆彦です。 今日は、2014年4月18日(金)です。

 今日も、続けて「読み捨て御免」という書評子(しょひょうし)の優れた書評文(ビックレヴュー)



  3月31日に国際司法裁判所(オランダのハーグにある)で、日本の捕鯨が、禁止にされた判決がありました。この問題も論じなければいけまぜん。なぜ、live stock ライブストック、生きている食糧である、牛や豚は、大量に屠殺 

 (とさつ。このコトバを使うと、目くじらをたてる、被差別糾弾団体が今もいる。私、副島隆彦に、向かって直接抗議してきなさい。屠(ほふ)るの、 屠殺場(とさつじょう)はダメだが、屠場(ほじょう)ならいいそうだ。あるいは、食肉(しょくにく)市場だ) 

 して人間の食料にしているのに、 クジラやイルカや、鯱(しゃち、オルカ)は 「地上に残された夢のある、希少な生物だから」ダメだとするのか、欧米白人の捕鯨反対派と 議論することを、私たちはしてもいいと思います。

  が、そのまえに、私、副島隆彦が、いろいろ説明して日本国民に教えなければなければいけないことがある。 

 この捕鯨についての議論 の前提条件を、日本人は、誰も誰からも教えられていない。 幼稚な、世界からほったらかしにされた可哀想(わかいそう)な国民のままだ。 記事を一本だけ貼っておきます。 

 それから、ここには、訴えた側であるオーストラリア政府(この捕鯨問題では国民の多数が支持)が、 日本政府との、TPP交渉での「重要な5品種」うちの最も重要な、オーストラリアからの牛肉の輸入の関税の引き下げ合意(25%ぐらいに日豪で妥結した)を、アメリカ政府が、何が何でも邪魔してやる、という意気込みで、ICJ(アイ・シー・ジェイ、 国際司法裁判所)の判決を、この時期に出させた動きが背後にある。


(転載貼り付け始め) 

●「調査捕鯨裁判で日本敗訴 「鯨食文化ないと困る」北海道・釧路など影響懸念」
2014年4月1日 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/530532.html

 国際司法裁判所が3月31日、日本による南極海での調査捕鯨を条約違反と認定したことについて、訴訟対象になっていない北西太平洋の調査捕鯨の一拠 点となっている釧路市の関係者からも影響を懸念する声が上がった。

 釧路沿岸での調査捕鯨は2002年からほぼ毎年、主に秋に行われてきた。釧路市は05年に地元経済団体や漁協などと釧路くじら協議会を設立。市 内小中学校の給食で竜田(たつた)揚げやフライなどのクジラ料理を出すほか、秋に「くじら祭り」を開くなど鯨食文化の普及に力を入れてきた。

 蝦名大也(えびなおおや)市長は「日本の正当性が認められず残念。釧路は古くから捕鯨基地として鯨食文化も地域に根ざしている。調査捕鯨はクジラと漁業の競合関 係を解明するためのもので、地域にとって重要だ。今後も調査捕鯨を継続することを切望する」とのコメントを出した。

 釧路和商市場の木村鮮魚店は50年ほど前から鯨肉を販売しており、現在は釧路沿岸や南極海などのミンククジラの肉を扱う。担当の小林勝行さん (35)は「仮に南極海のクジラがなくなると品切れになる時期が出る恐れがあり、死活問題。捕獲量を減らしても調査を続けられるよう粘り強く交渉 してほしい」と求めた。

 ■日本の調査捕鯨■ 1987年に南極海、94年に釧路、石巻(宮城)沿岸など北西太平洋で始まった。対象はミンククジラなど。IWCが82年に 一時禁止とした大型鯨類の商業捕鯨の再開を目指し、生息数の増加を証明するために行っている。IWC管理対象外のツチクジラなど小型鯨類は、網走 や函館などの沿岸で商業捕鯨が行われている。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 この他に、現在も動いている ウクライナ情勢で、ウクライナ東部で、コサック兵(歴史的に、ロシア皇帝に忠誠を誓ってきた右翼の民兵)たちが、東部の住民たちと動いている、最新の分析をしなければいけませんが、お待ちください。

 それでは、 ようやく、続けて 「読み捨て御免 」という人のブログの 書評文(ブックレヴュー)を載せます。

 この3年間に出版された本のうちできっと良書であろう本に、読書人としての鋭い目利(めきき)で出会い、的確に書評をしています。私は、このネット上の書評子(しょひょうし)の簡潔で要領を得た文章に感心しました。皆さんもこのようなしっかりとまとまりのある文を書くことを心がけてください。  

(転載貼り付け始め)

読み捨て御免 というブログ から

http://blog.livedoor.jp/kenzaemon/archives/50421969.html

( ここで 副島隆彦が注記します。 以下の「実録 ドイツで決闘した日本人」という本は、本当におもしろそうです。ドイツ人とはどういう民族=国民 Volks なのか、私たちは知っていない。

 一応私たちは、旅行番組のようなもので ドイツのことを何でも知っているようでいて、本当は、何も知らない。 アメリカは、日本人が、本当にドイツのこと、ドイツ国民が何を考えているかを、日本人に教えないように、巧妙な情報統制をしている。 

 私は、もう何十年も、「ドイツ民族の ヒューデ 決闘、メンズーア、死闘 の慣習のことが分からないなあ」と思ってきた。
 
 どうもドイツの男たちには、今も、若い頃にする決闘の習俗が残っているようだ、と睨んできた。英米系の白人なんかとは、ドイツ人は全く気風が違うのだ、と思ってきた。ようやくそれを教えてくれる以下の本が出た。

 私は、ドイツから日本に駐在しに来るドイツの大企業の経営幹部たちの、顔をじっと見ていたら、頬(ほほ)や顎(あご)のあたりに、刀傷(かたなきず)のようなものが残っている顔をこれまでに何人も見た。どうも顔に傷をわざとつけたようには思えない。

 中には、頬に深く突き刺さったよう傷跡まであった。 だから、私は、今も、勇猛なドイツの男たちの伝統を信じている。ドイツもこの敗戦後の70年間は、アメリカ帝国の厳しい監視下にあって、屈従の年月を生きてきたはずなのだ。だが、ドイツの指導者の男たちの頬には、立派な刀傷が有る。私は、ドイツ民族と日本民族の、本気での再びの連帯を考えたい。

 調べてみたら、この本の著者の 菅野端治也(すがのみちなり)氏は、京都外語大学のドイツ語の教授のようだ。副島隆彦注記 終わり)

●「 実録 ドイツで決闘した日本人 」  菅野瑞治也 (すがのみちなり) 
集英社新書ノンフィクション  2013年10月刊

 結構衝撃的な題名である。遥か昔の話かと思ったが、なんと1980年代の実話である。

 著者はドイツ留学中にふとした切っ掛けで学生結社に入会した。ドイツでは学生結社(ブルシェンシャフト)は数多く存在し男子学生の約15パーセントが結社に所属しエリート養成機関の役割を果たしている。中世騎士団の流れを汲んでおり決闘が義務になっている結社は5~6パーセントに及ぶ。

 決闘はメンズ―アと呼ばれ、目と首から下を保護する防具を着けるだけで全長約1メートルの真剣で全身不動のまま利き腕のみで斬り合うと云うものである。互いの距離は剣の長さだけなので受け損なったり動作が遅いと頭部、顔面に傷を負う。

 フルラウンド闘うか専門医のドクターストップで終了となる。その間剣を避ける様な動き(頭部を動かす、体を前進、後退等移動さすなど)をした場合、臆病で卑怯な行為であり、結社の体面を傷付けたと云う事にもなり退場となる。

 即ち剣による防御に失敗すると相手の失策がない限り確実に斬られ傷を負うと云うことである。但し、勝敗を決するものでは無く、例えドクターストップでも違反行為や臆病で卑怯な行為が無ければ立派な決闘として評価される。即ち結社に忠実で、一人前の男として認められるための通過儀礼なのである。

 このような行為が現代に行われ連綿と伝承されていることは驚きである。又、筆者は東洋人として初めて結社入会を承諾され決闘を二回も行ったのである。
 
 ドイツの学生結社はフリーメーソン、イルミナティ等の影響も受けているが基本的に社会に開かれており町の中に結社のクラブハウスを所有している。経済的にはOBの援助が義務化されているので現役会員は廉価で居住できる。しかし、決闘をはじめ厳しい掟を守らないと処罰され除名されることもある。日本であれば体育会系のクラブが近い感じであろうか。

 アメリカの スカル&ボーンズ もドイツ結社の影響で作られたものだが神秘主義的傾向を色濃く残している。しかし、メンズ―アを伝承しているのはドイツ、オーストリア近隣国だけである。

 厳しい掟と結社への忠誠心は自ずと組織の団結力となり社会の各方面にネットワークが形成され影響力を持つ。このような組織で鍛えられた欧米のエリートは日本の官僚など勉強秀才型エリートと違い心身ともに頑強であり公的責任を率先して果たすノーブレスオブリージュを体現している。

 中国の科挙制度の影響かアジアのエリートはどうしても文(勉学)に比重が置かれ武は軽んじる傾向にある。しかし、昔の日本では文武両道が当たり前であり平和な時代の江戸期でも果し合いや仇討は存在した。各藩が競って人材教育に力を入れたのでレベルが上がったのであろう。又、文武両道であったがため植民地にもならずアジアで唯一列強国の一角を担えたのであろう。

 戦後、色々な伝統あるものが破壊され文弱な勉学エリートが幅を利かせる時代になってしまった。未だ真剣による決闘の伝統を伝承する筋金入りの欧米エリートと対等に渡り合うには戦国時代並みとまで言わないがせめて江戸期の各藩校、道場、寺子屋が競い合ったように心身ともに鍛える教育が必要である。


2013年10月13日

●「 江戸の非人頭(ひにんがしら) 車善七(くるまぜんひち)」  

塩見鮮一郎(しおみせんいちろう) 三一新書

 独自の視点と研究で隠された日本賤民(せんみん)史を読み解く希少な作家塩見氏の作品。

 被差別民の中でも江戸時代の非人を支配した車善七(くるまぜんひち)。その来歴や職務は同時代に賤民のトップであった弾左衛門とは違い不明な点が多い。主には、勧進(かんじん)とよばれる所謂(いわゆる)乞食(こじき)であり処刑の補佐、牢屋の清掃、溜(ため、たまり) とよばれる収容施設の世話などもこなした。

 各地から流入し人口膨張を続ける当時の江戸は、得体のしれない野非人の排除、管理対策に車善七を当てさせた。過酷な業務にあたる非人は弾左衛門の支配を受け膨大な人員負担に苦しみ遂に支配を抜けようと争う。しかし、奉行所の判断で負けてしまう。エタと非人の隠された闘争があったのである。同時代に弾左衛門(だんざえもん)支配から脱した歌舞伎役者や座頭などと違い何らかの政治的な配慮があったのであろうか。

 明治政府になり貧民が町に溢れた。救済施設が造られ、溜の世話をしていた非人が暫くはその職を担う事もあったであろう。解放令が出され職業や居住地など原則的に廃止されたが居住制限を受けてきたエタは移動せずに家や地域が続き、それが故差別が存続した。

 しかし、非人は歴史から忽然と消えてしまった。車善七も名を長谷部(はせべ)善七と改めたが居住地を売り払ってから行方が解らない。不思議なことに時代が過ぎても溜のあった山谷(さんや)や隅田川(すみだがわ)沿いなどの地域には路上生活者が引き寄せられてくる。資料の少ない非人史を丹念に描いた最適の入門書。

2013年9月8日

● 「 鎮魂 さらば愛(いと)しの山口組 」 盛力健児  宝島社

 元山口組直系組長 盛力健児 氏の作品。
以前、後藤忠政氏の作品を出した宝島社であるが今回も似た路線である。しかし、暴露の度合いが前作に比べ可也大きい。前作は組織や事件について渡世上差障る部分は巧妙に暈してあったが、本作は具体的人物名や事件の裏話や真実を詳細に語っているインパクトの巨大な作品に仕上がっている。

 山口組抗争史上特筆される大阪戦争で長い懲役を務めた盛力氏はバブル期に塀の中に居たため筋より金が支配する世界に変質してしまった極道社会に馴染めず、その功績にも拘らず五代目以下執行部からも徐々に遠ざけられてゆく。又、六代目体制になり組織の若返りが図られると極道として実力があり実績を持つが故疎んじられ遂に組織から処分されてしまう。

 一言で云えばよくある話である。即ち組織のために体を懸けた者が長い務めを終えて帰ってくると嘗ての行動原理が否定され時代が変わってしまったのである。自身も語る通りカネが最優先の五代目以降の極道ではなく三代目、四代目までの極道であったのである。しかし氏は、カネもうけと身内同士の足の引っ張り合いに終始する集団と化してしまった組織に未練は無く新たに武術道場を兼ねた少林寺を再建すべく奔走中である。

 大阪戦争、べラミ事件、宅見事件、五代目、六代目襲名、自身が直面した組織内の謀略などの真相、渡辺五代目、宅見若頭、竹中武氏、中野太郎氏などの人間関係や事件に至るまでの経緯などこんなこと書いても大丈夫なのかと云うほど詳細に語っている。内容が真実であるならばスーパーメガトン級の暴露本である。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。  なるべく普通の人が読めないような人名や、難しい漢字には、私は、「かっこルビ」をつけます。

 みなさんも、自文(じぶん)を書いて公表する場合は、嫌(いや)がらずに、億劫(おっくう)がらずの、徹底的にルビ付けを、やってください。それが世のため、人のため万人(ばんにん)の為(ため)なのです。

副島隆彦拝

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