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2015年2月2日月曜日

勝海舟の話

勝海舟



みなさん、こんにちは。

何かと騒がしい国際情勢の昨今、昔の明治時代に似た雰囲気が出てきて、その時代が懐かしまれる。今を生きている現代人にとって今こそが最も騒がしい時代なんだというふうにどういうわけか考えたがる。しかしながら、何時の時代も激変期というものはある。明治時代は今よりもっと激変の時代だった。なにせ、それまで300年も安泰だった江戸幕府が崩壊し、明治政府に変わったわけである。

この激変期を生き抜いた歴史上の著名人と言えば、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛である。その他に、高杉晋作、伊藤博文、山岡鉄舟などがいた。勝海舟は江戸幕府側の先駆者、西郷隆盛と高杉晋作は倒幕側の先駆者であった。坂本龍馬は日本全体の利を見る逸材だった。また坂本龍馬と勝海舟の名のもとに忘れがちなのが、山岡鉄舟先生である。が、実は勝海舟がやったとされていることのほぼ90%の実際の仕事はこの
山岡鉄舟
(鉄舟先生が静岡のお茶栽培、明治天皇のかっけを治すためのアンパンの発明に寄与した影の功労者なのである。自分の年金を全部つぎ込み、借金を全部自分の書道の毛筆で返したといわれている。拙著「柘植の反秀才論を読み解く」に詳しい。)
が成し遂げたことである。

勝海舟は晩年数名の女中や妾とともに高額の年金を得ながら余生を送り、自分の年金を静岡で清水の次郎長といっしょに静岡のお茶栽培に全部回して貧乏のうちに早死した山岡鉄舟の成し遂げた偉業を全部自分の美談に加えていった。

そんな勝海舟だったが、勝海舟は若い頃は鉄舟先生同様の逸材だった。咸臨丸に乗ってアメリカサンフランシスコに行ったのである。

そんな矢先で出会った人物や、当時の米国社会の雰囲気を見事に残したものが、勝海舟の
氷川清話
である。一方、そんな山岡鉄舟先生のおやりになった本当の偉業を記録に残したものが、
岩倉具視
(この岩倉具視のご子孫が俳優の加山雄三さんである。)
の『正宗鍛刀記』という本である。

さて、そんな勝海舟であったが、当時の世界情勢、特に、当時のアジア状勢は、ちょうど今のISISのアラブ世界のような混沌とした世界であった。状況はまったく今の中東やアフリカと瓜二つなのである。

そういう状況にさらされた当時の明治維新の人たちがどう処理したか?

これこそ今現在の我々日本人や日本の若者たちが学ばなければならないこと、見習わねばならないことなのである。私はそう考える。

そこで、今から13年前のまだスマホもなかった時代の2002年頃に昔の拙掲示板時代にメモした文章をそっくりそのままここに1つ再掲しておこう。以下のものである。
2258
氷川清話の「海外発展」
KI
2002/10/16 18:02
男性 自由業 45歳 O型 徳島県 

権兵衛のだんなさん

いやー、だんなの勝海舟の氷川清話の話は面白いねー。それでサ。俺も
氷川清話っていうやつがいったいどんなものか見なくちゃいけねーと
思ってね。図書館行って、そいつを借りてきちまったわけサ。

そして、その中をちょっくら覗いてみると、こいつぁおもしれーノー。
中でも、俺が特に気にいったやつがあったんだが、それをちょっと紹介して
見てーのサ。

それは「海外発展」っていうやつなんだがね。文章は氷川清話を読んでみて
もらいてーのでね。ここでは俺は書かねーのサ。内容をかいつまんでおくと
サ ノー。こんな話なんだ ノー。

勝海舟が咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへ行った時の話なんだが、
海外発展というのを考えて見るとサ。日本がやっているのと、欧米がやって
いるのを比較すると、まるで顛倒しているっていう話なのサ。

日本が一番先に出るのは若い売春婦のような女。その次がそれを追っ掛ける
小商人やならず者サ。それからその地方が有望というと中商人が行き、
領事館ができるという話なのサ。だから、その地で外国では日本人という
やつは実にひどい奴らだということになり、評判はすこぶる悪いのサ。
みんな警戒してしまうわけだーね。

ところが、外国のやつらは実に見上げたものサ。最初に海外不毛の地に教法
師が行って伝道すれば、医薬慈善なんかやるんだねー。その一方で、地方
物産や事情を本国に報告すして何々の商売が有利だなんて知らせるわけサ。
今度は、資本力のある富豪が出かける。小商人も行く、女も行く、領事館
が行くというふうなんだなー。だから、外国人は非常にその地方では評判
が良く、たとえごろつきや売春婦の類いが行っても紳士や淑女の扱いを
受けられるというわけサー。

売春婦と言えども軽蔑ばかりしてはだめで、それも善用できるとなりゃー
たいしたものサ。その点、欧米人は実に感心させられるのサ。
もし何かあったら、そんなやつは日本人じゃねーよって言ってりゃ良いのサ。
日本人は公私の区別が付かないから困るわけなのサ。

こんな話があるんだが、さすがに、俺もこの話には妙に納得させられたわけ
サ。


その続きに公私の区別の面白さを言った話があるんだが、俺はこれに興味
を持ってねー。これも書いておこうよねー。

勝海舟が咸臨丸でアメリカへ渡ってすぐに、どういうわけか突然裁判所から
船長として出頭を命じられた。海舟が行ってみると、その理由はこういう
わけなのサ。

2人ほど咸臨丸の船員がいて、街を歩いているうちにアメリカ
人の女に日本の春画を見せて喜んでいたらしい。すると、その御婦人方は
怒って裁判所に訴えたわけサ。それで海舟が呼び出されたのサ。そこで
裁判官は海舟に証拠品を見せて言ったのサ。証拠はこれだ。だから、水兵
2人を処罰すべし。

そこで海舟はその水兵をとっちめてやろうと思って証拠品を持って帰ろうと
すると、いきなりその裁判官は法服を脱ぎ捨てたわけサ。そして言った。
先ほどは職務上非常に厳しい態度に出たことをおわび申す。これは個人的な
ことなのだが、その春画はわいせつだが、非常に珍しいものだ。それは当の
アメリカ女性もえらく感心して、ぜひお金を払うので譲り受けたいと言って
いる。侮辱した水兵にはすまないが、どうか譲ってくれないかっていうわけサ。

そこで、海舟は確かに頭にきたんだが、この公私の区別に非常に感心したわ
けなのサ。今度、海舟がやったことが実に面白いのサ ノー。海舟は、まず
その水兵たちを謹慎処分にして、艦長名義でその裁判官に手紙を書いてやっ
たのサ。お手前の願い出受けたてまつり候。何日何時何分に日本軍艦に出頭
されたしってやったのサ。すると、その夜、2人の裁判官がやってきて、
今日の手紙はあまりにひどい。どうか内分に秘密にしてやってくれって泣き
を入れてきたんだとサ。そこで海舟はその春画をくれてやったんだとサ。
これに海舟はえらく気に入って、馬鹿馬鹿しい話だがアメリカ人の公私の
区別をきちんとやるのは実に感心したんだとサーね。


いやはや、海舟っていうだんなも実に面白しれーやつだったんだねー。
いまだに松茸がどこいったなんて言って騒いでいるくれーの、ちっせい
国とはこの日本。150年前とちっとも変わっていねーみたいなのサ。
松茸は議員バッジをはずしてもらったのか、つけてもらったのかの違い
なのサ。つけてりゃー有罪。はずしてりゃー無罪。これが公私の区別って
いうやつサ。食っちまったのなら、その分2、3日謹慎処分でおわりサーね。
ちっせえ、ちっせーノー。今の日本人はねー。


じゃ、またーね(俺は勝海舟の口調で書いたのサ。)


これを読んですぐに分かるのは、勝海舟の時代の「日本人」と勝海舟先生が呼んだ日本人の行い、その行動パターンがこういうものだった。
1.日本が一番先に出るのは若い売春婦のような女。
2.二番目が売春婦を追っ掛ける小商人やならず者。
3.三番目が中商人。
4.最後が、領事館。
5.その結果、その地で外国では日本人というやつは実にひどい奴らだということになり、評判はすこぶる悪い。

一方、当時の欧米列強国家はというと、
1.最初が海外不毛の地に教法師や伝道師や医薬慈善。同時に地方物産や事情を本国に報告するスパイ活動。
2.二番目が、力のある富豪。
3.三番目が、小商人や女。
4.最後が、領事館。
5.だから、外国人は非常にその地方では評判が良く、たとえごろつきや売春婦の類いが行っても紳士や淑女の扱いを受けられる。

とまあ、これが江戸末期から明治時代初期の世界情勢を見た勝海舟の世界観であった。

はて、今と比べるとどうでしょうか?

たぶん、ほとんど変わっていないはず。そう、まったく変わっていないんですナ。今も日本の外務省や日本の法務省、そして日本の政治家がやっていることはまったく基本的には同じなのである。この認識が大事だ。

つまり、外務省は最初に外国へ悪人や犯罪者や売春婦を送り込んで平然、法務省は外国からくる売春婦や犯罪者を日本国内に一番最初に受け入れる。こういうことをやっている。

だから、ISISに出向く悪徳ジャーナリストがたくさん出るわけである。

では、勝海舟がそういう悪い日本人たちが海外で何かを起こした場合、今回の湯川春菜や後藤健二が起こしたようなことを起こした場合にどうしたか?どうすべきだと勝海舟が言っていたかというと、上に書いたとおりであった。
売春婦と言えども軽蔑ばかりしてはだめで、それも善用できるとなりゃー
たいしたものサ。その点、欧米人は実に感心させられるのサ。
もし何かあったら、そんなやつは日本人じゃねーよって言ってりゃ良いのサ。
日本人は公私の区別が付かないから困るわけなのサ。

つまり、
最初に日本から外国に行った悪い連中や売春婦、こういう連中を軽蔑だけしてはいけない。むしろ良い方に使えるようになればたいしたものだ。その点、欧米人はたいしたものだ。もし何かあったら、そんな連中は日本人じゃないと言えばいいのだ。日本人は公私の区別がつかないから困る。

要するに、勝海舟の主張はこうだ。
日本人には日本政府の言いつけを守らないというものはない。もし言いつけを守らないとすれば、その人物は日本語が分からないのだから日本人ではない。したがって、言いつけを守らなかった後藤健二と湯川春菜は日本人じゃない。だから、日本政府は彼らに対してすることは何もない。また、日本に帰する仕事上で海外に行って、その際に犯罪に巻き込まれた場合には日本政府も善処するが、プライベートな私的な旅行の出来事は全部自己責任だから、政府が公的にすることは何もない。

こういってやればいい。そう勝海舟先生は言っていたのである。

どうだい、いかに明治の偉人たちがどれほど賢かったか解るに違いない。

ちなみに、勝海舟が言った「日本人は〜〜」の日本人の習性と今の韓国人や在日韓国人の習性とまったく同じだということに気が付かないか?そう、実はすでに明治維新の時代から九州にはたくさんの朝鮮人が移り住んできていたのである。だから、戦後の今も、江戸末期も日本の状況は全く同じだったのである。

江戸幕府が純日本人系であって、明治政府の方が九州山口の朝鮮人系だったのである。鮮人がいれば世界のどこでも同じことが災いするのだ。まあ、長くなるからこれはまたいつかにしよう。

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