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2015年2月16日月曜日

小沢一郎論

ひょう吉の疑問より転載:


わたしは以前、『小沢叩き』の流れを追っていたことがある。
小沢に対する評価はいろいろだが、私には彼の言うことはストンと落ちるものがある。
小泉政権のころ、そのあまりの非常識さに政治に絶望しかけていたとき、小沢の言葉には胸に響くものがあった。
『この男は政治の裏側まで知っている』

当時そう思っていた人は多いはずだ。
だからこそ、2009年の政権交代が実現したのだと思う。

恥をさらすことかも知れないが、それまで私はずっと自民党に票を入れてきた。
しかし小泉政権の成立や、その後の竹中平蔵の登用などを見て、『ちょっと待てよ』と思った。
遅まきながら、初めて自民党の変節に気づいた。

それまで、ゆとり教育や、ジェンダーフリーなどの左翼的な思想に、強い疑問をもっていた私は、自民党の保守本流に立ち返ることが、日本の将来に有意義なことだと思われた。
しかし、その自民党は、小泉政権の誕生によって、まったく違ったものに変節してしまった。
竹中平蔵、郵政選挙、ホリエモンの立候補などなど、私には信じられないことばかりであった。

その当時、私は自分のことを、自民党支持の平凡な中間層だと思っていたが、そのような多くの人が疑問を感じていたからこそ、鳩山・小沢政権という民主党政権が成立したのだと思う。

この時まで、私は自分が何か特別なものを支持しているとはまったく思っていなかったが、
その後に起きたことは、思いもかけないマスコミあげての『小沢叩き』であった。

経緯は省略するが(詳しくはつぶされた民主党政権に未完のまま書いている)、小沢の政治資金の問題は、全くの濡れ衣だったことが裁判の結果、証明されている。

私は小沢発言を虚心坦懐に聞いて、どこがおかしいか、今でもよく分からないが、私はマスコミが小沢を叩けば叩くほど、少数派に属していった。

そして今でも『小沢叩き』は続いている。
小沢嫌いは多分にマスコミによってつくられている。
彼の政治思想はここでは問わないが、彼の政治家としての実績は、今の日本で右に出る者はいない。

今この国際政治の難局において、今の日本に、アメリカの民主党政権や、議会で多数派を握っている共和党と互角に戦えるだけの政治家がいるだろうか。
目を転じて、ロシアのプーチンや中国の習金平と互角に話し合える政治家がいるだろうか。

今こそ、小沢一郎のような政治の裏も表も知り尽くした政治家が必要なのに、与党とマスコミは未だに小沢一郎を封じ込めることばかりしている。
このことは、アベシンゾーが沖縄県の翁長知事とは会わなくても、読売新聞のナベツネとは酒席で会っていることをみても明らかである。

逆に言えば、アベシンゾーはそれほど小沢一郎を恐れている。
なぜなら小沢一郎の論理には色眼鏡がないから。
世の中を裸眼で自分の目で見ている。
小沢一郎の姿勢は、正しいことを正しいと言う、間違っていることを間違っていると言う、それだけである。

だから並の政治家は勝てないのである。
だからマスコミを利用して彼の口を封じるしかないのである。

しかしアベシンゾーのボーソーが始まろうとしている今、もっとも必要とされるのは小沢一郎のような、日本の裏表、世界の裏表を知り尽くした政治家である。

彼の口が封じられている間は、日本の政治はかなり危ないところにある。
なぜなら、小沢が好きか嫌いかに関わらず、事の善悪を判断する手段そのものが奪われているからだ。
そんななかでアベシンゾーのボーソーが始まる。

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