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2014年12月12日金曜日

無題


人生経験を積むというのは、「絶対に世の中は見通せない」ということを知るための長い旅であると言えるかもしれない。

私たちが世の中が見通せないのは、自分に情報がないからだと考えていた人たちが過去にいた。いや、今もそう考えている人がいるかもしれない。

「分析すべき大量の情報があれば、世の中がどう動くかが予言者のように分かるはずだ」

しかし、インターネット時代になって、誰もがグーグルのような検索エンジンで大量かつ瞬時に情報を手に入れることが可能になった。

かつては、情報を手に入れるためには、新聞を読み、テレビを見るか、関係者にインタビューするか、もしくは図書館に行って関連図書をしらみつぶしに調べるしか方法がなかった。

「調べる」ということ自体が、手間とコストがかかる困難な作業だった。ところが、時代は革命的に変わった。

今では検索エンジンで何か調べれば、一瞬にして、たちどころに多くの情報が目の前に現れる。


予言者のように将来を見通せるようになったのか?


現代は、情報がないどころか、あまりにも情報が溢れ、そのすべてを消化できない時代になっている。あなたも、今やごく普通に大量の情報を手に入れているはずだ。

では、大量の情報を手に入れることができるようになって、あなたは予言者のように将来を見通せるようになっただろうか。

いや、大量の情報にまみれればまみれるほど、何が真実で何が嘘で、世の中の方向性がどちらに向かっているのか、ますます分からなくなっているはずだ。

大量の情報が、明確な結果を指し示してくれないのである。1つの方向性を示す解決策があれば、逆にその解決策を否定する情報も山ほど見つかる。

日本が崩壊するという情報もあれば、もっと繁栄するという情報もある。これを食べれば健康になるという情報もあれば、食べてはいけないという情報もある。成功するためにはこれをしろという情報もあれば、そんなことをしても無駄だという情報もある。

何かの問題点についてアドバイスを求めても無駄だ。相手のアドバイスを打ち消すような情報が大量に溢れ、大量の情報がますます道を惑わせる。

大量の情報とは、大量のノイズである。ノイズが多いと、正しい方向性が掻き消されて分からなくなる。大量の情報は、むしろ人間を当惑させてしまうのである。

インターネット時代になって、大量の情報に溺れるようになった現代人は、結局、大量の情報があっても何の役に立たないことを学び始めるようになった。

世の中は、大量の情報があるくらいでは見通せないことが、分かるようになった。誰も世の中を見通せないし、誰も予言者になることもできない。

「将来は何も決まっていない」という現実


もちろん、世の中を動かしているはずの世界的リーダーも、別に世の中が見通せているわけではない。

たとえば、アメリカのオバマ大統領は、世界で最も秘密度も精密度も高い生情報に接しているはずだ。しかし、それでも世の中が見通せていない。大統領ですら、そうなのだ。

クリントン元大統領、ブッシュ元大統領、オバマ大統領が、「行き当たりばったり」の政策や戦略を取っているのを見ても分かるはずだ。結局、「分かっていない」のである。

どれだけ情報があったとしても、世の中が見通せない大きな理由は、「将来は何も決まっていない」からである。どんなことをしても、「絶対に世の中は見通せない」と言える要因がここに集約されている。

「将来は何も決まっていない」のだ。

決まっていないことに対する見解は、100人いれば100通りの答えが出てきて当然なのである。そして、世の中は数学のように正解がひとつではない。

決まっていないことをどう知るのかというのは、結局は自分の人生によって培われた経験や直感や見解の範囲で「予測」するしかない。

予測は往々にして当てが外れるが、決まっていないことに対処しなければならないのだから、結局はそれしか方法がない。

厚い雲が覆っていて、昼間なのに暗ければ、雨が降る確率が高い。とは言っても雨は降らないかもしれない。しかし「降りそうだ」という方向性は間違っていない。

人間ができる「将来への見通し」というのは、せいぜいそれくらいでしかない。

予測しても外れる。では、どうしたらいいのか?


予測は常に不完全であり、予測は不確実性によって常に外れていく。しかし、予言できない以上、予測が限界だ。

予測しても外れる。では、どうしたらいいのか。

「現実を見て、軌道修正する」という徹底した現実的思考で生きるしかない。決まっていない未来を「こうだ」と決めつければ、外れたときに軌道修正ができないので人生が崩壊する。

変化の時代に突入したとき、軌道修正できる態勢にある人間が生き残るということでもある。「変化に最も対応できる生き物が生き残る」のである。

世の中は、実際のところ様々な現象が絡み合い、重なりあって動いていく。

観察の結果、決まった方向性があったとしても、何らかの突発的事項や、見逃していた要因によって、180度違う方向にねじ曲がる可能性も高い。

世の中は、常に私たちを置いてけぼりにして、転々と状況が変わっている。

何十年も信じていたことが覆されたり、こうなると言われたことがそうならなかったり、約束されていた将来が反故にされたりする。

あなたは、軌道修正ができるだろうか。「絶対に世の中は見通せない」のだから、軌道修正できるような生き方をしないと、世の中が変わった時、生き残れなくなる。

言うまでもないが、現在、日本を取り巻く状況は大きく変化しようとしている。経済的にも、政治的にも、文化的にも、意識的にも、今までの常識では捉えられないような大きな激変期に突入している。

これは、巨大な変化である。そして、その結果がどこに到達するのか、誰にも見えない変化でもある。日本人は全員、この激変に巻き込まれている。

だから、私たちは、「これから何が起きるか分からない」と身を引き締めて、場合によっては自分の生き方や見解を軌道修正しなければならない時代になっている。

恐竜は滅んだ。「変化に最も対応できる生き物が生き残る」
「現実を見て、軌道修正する」という現実的思考が必要な時代になった。

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