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2014年3月16日日曜日

織田信長はイエズス会に騙されて国を売ろうとしたので殺された

仮説か推測か、はたまた妄想か? 読んで下され!

物部や蘇我が地方豪族として勢力を持っていた頃、神武天皇の東征がありました。
   神武は宮崎県の高千穂あたりから、瀬戸内海を通って和歌山の海岸から上陸し、大和に入っています。その道筋が今は「熊野古道」として残されていますが、当時はそれこそ道なき道を分け入って進んだのです。この熊野古道へ入る手前に神倉(かみくら)神社があり、そこには大きな石の盤座(いわくら)があります。これが神武天皇の石と言われているものですが、私がそこで瞑想してみたところ、神武の「奈良の橿原(かしはら)まで進軍する時の道のりがどんなに大変だったか」、という嘆きの声が聞こえるのです。

   この大変だった遠征を支えたのが、「八咫烏」(やたがらす)と呼ばれた賀茂氏のカモタケツヌミです。シンボルマークは3本足のカラスで、熊野神社の社紋と同じです。伝説では、神武天皇が和歌山の海岸に着いたときにカラスが現われて、大和までの道案内をしたと言われていますが、実際には、賀茂氏の集団であったと思われます。この賀茂氏の始祖を祀る上賀茂神社と下鴨神社がありますが、いずれも神階は正一位で、日本の神社のトップの地位にあります。それだけに天皇家に重要な家だということですが、この賀茂氏の集団もユダヤの流れです。

   八咫烏(やたがらす)をシンボルとした、皇室を支える集団が今でもあると聞いています。私が中学生だった頃、父と2人で食事をしていた時、父は書面を見ながら「(皇室に何かあれば)10万人が動く」というような主旨のことを話したことがあります。彼らは戸籍も持たず、人にも知られず、一般の人々とは違う生活をしています。子どもの頃からかなりの修行をしているそうで、私はある時、そうした1人と会ったことがあります。子どもであっても修行においては、経済的なことも含め生活のすべてを自活するそうです。それと同時に武術や忍術も習得するようです。

   もう少し時代が下って、良く知られている人物では聖徳太子が出てきます。
   彼のお母さんは、蘇我氏の娘のうちの1人です。聖徳太子の像は秘仏として祀られていることが多いのですが、それは仏像とは違い、ゾロアスター教で用いられているものに近いのです。それからしても、蘇我氏の祖先はやはりキリスト教がつくられる以前のユダヤなのです。聖徳太子は蘇我系なので、蘇我と協力して国造りを進めていましたが、推古天皇の夫と子どもの毒殺などもあり、都では皇室、豪族を巻き込んだ権力闘争が耐えなかったのです。

   このように古代日本の多くの人々は皆、秦氏に代表されるユダヤ由来の人々なのですが、日本に渡来して来た時期がそれぞれに少しずつ異なり、しかも仲がいいわけでも協力するわけでもないところが、多くの争いを生み歴史を複雑にしているのです。また特に蘇我氏がそうであったと言われていることは、「自分たちも秦氏の系列であり、本来自分たちは大陸を横断して渡来して来たユダヤ人だった」ということを、伏せて隠しておきたいという感情があったようです。

   その原因はやはり、天皇家のルーツは日本の土着であったことにあると思われます。つまり天皇家に近いとアピールするためには、わりと最近、外国からやって来た一族であるとは言いにくいわけです。蘇我氏の最後は、入鹿が中大兄皇子や中臣鎌足という藤原家の系統によって殺されて滅びました。藤原氏系はキリストを信じたユダヤ人ですが、中大兄皇子自身もキリスト教徒だったはずです。


織田信長はイエズス会に騙されて国を売ろうとしたために殺された
   イマヌエル・カントは『永遠平和のために』という本の中で、日本のことに触れてこう言っています。「ヨーロッパの国々は文明が進んでいると言いながら、無残な殺し合いばかりしている。しかし東洋の端の日本という国は鎖国をしており、そうして無駄な争いを避けている。ヨーロッパでもオランダ一国としか付き合わないようにして、余計なことに巻き込まれないようにしていて、彼らはなかなか賢い」、と評しています。

   カントが言ったように、日本が中世から近世にかけて鎖国をしたのは、やはりヨーロッパ勢力との付き合いを考えてのことだったと思われます。時の有力武将の織田信長の周辺には、イエズス会がずい分と出入りしていたのです。また明智光秀の娘は、キリスト信者で後の細川ガラシャ夫人です。


   イエズス会はずい分と織田信長に接近しており、布教と引き換えに武器輸入などをしていたのです。それがどんどんエスカレートし、その取引は、かなり国を売り飛ばすようなレベルにまで達していたのです。そのことを明智光秀は娘を通して知り、それで彼は「本能寺の変」を起こした。あのまま織田がイエズス会を通してキリスト教徒の侵食を許していたなら、ヨーロッパの他の植民地と同じ運命をたどることになったでしょう。

   イエズス会というのは、かなり危険な存在だったのです。
   そして鎖国は国を救いました。明智光秀は、時の権力者の織田信長を討ち滅ぼしてしまいましたが、光秀はその後亡くなった時、真っ直ぐに天に召されて行きました。一方、織田信長はいったん地獄へ落ちて、そして今は再び現世に出て来ています。


        book 『古代日本人とユダヤの真実』 中丸薫著 KKベストセラーズ

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