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2012年12月4日火曜日

日本の近代

転掲載:


■富を約束された人達

1990年代の後半から、「勝ち組」「負け組」という言葉が流行りだし〔※元々『日経新聞』紙上やテレビ東京(日経が筆頭株主)で多く用いられていた→新自由主義者達の巣窟である日経・CSISバーチャル・シンクタンク〕、最近では「格差社会」「下流社会」といった言葉が広く人々に使われるようになりました。ビジネスの場における優勝劣敗がはっきりし、その結果、社会的地位を得て所得を増やす人と、世の中の片隅に追いやられ不遇を託(かこ)つ人との差がはっきりついてきたわけです。

格差が人間の活動を回転させるエンジンとして働くのであれば、それは喜ばしいことかも知れません。少なくとも、頑張った人が報われる社会にしようという格差肯定論の意図はそこにありました。

ところが、格差は付いたが「負け組」に敗者復活戦の機会はない。これが日本の現状です。08年の春闘では賃上げを行うことが決りましたが、大手企業が軒並み史上最高益を稼ぎ出している現状から見ると、労働者に対する配分は微々たるものと言わざるを得ません。それが、サラリーマンの労働実感でしょう。

格差肯定と言っても、実際日本で巨額の報酬を貰える様な人は、ほんの一握りの限られた人達だけです。この人達は、言わば「お約束の人物達」で、お調子者の評論家が「頑張った人が報われる仕組み」と幾ら説いて回ったとしても、殆んどのサラリーマンには一切関係のない仕組みだと言うことが出来ます。(中略)

実は、本当の「勝ち組」は別のところにちゃんといるのです。それが「約束された人物達」です。この人達は、これまでどのような時代になっても、身分や収入が危ぶまれるようなリスクに晒されることはありませんでした。仕事が出来る、出来ないには大して関係なく、資産も収入も固く守られて生きてきた人達です。



■明治維新は外資によって成し遂げられた

話は飛びますが、明治維新の時の日本を想像して下さい。

明治政府になって、その後、日本の民主主義は急速に発展を遂げていきます。資本主義が発展する為には、先ず資本がなくてはならないはずですが、その資本は何処からやって来たのでしょうか。工業や重工業の発展に連なる経済の基礎は、誰がどのようにして築いたのでしょうか。

カネの存在を抜きにして、歴史を考えることは出来ません。大政奉還(1867年)から明治維新、そして明治新政府が成立する歴史の転回点で、日本に巨額のファイナンスを行った勢力がいたわけです。

戊辰戦争(ぼしんせんそう、1868~1869)の戦費に使われたカネにしても、同様のことが言えます。倒幕軍の戦費は、薩摩と長州が自分達の金蔵から出してきたものではありません。幕府軍の戦費にしても、徳川家が全額賄(まかな)ったものではないでしょう。現代の国際紛争モデル、或いは内戦モデルから類推すれば、戊辰戦争が外国の2大勢力による代理戦争という性格を色濃く持っていたことは容易に想像が付きます。

実際、政権交代を目指す薩長勢力にはイギリスが、政権維持を目論む幕府勢力にはフランスが、潤沢な資金を供給していました。もっとはっきり言えば、当時の財政破綻状態のイギリスやフランスの事実上のオーナーとも言えたイギリスのロスチャイルド家とフランスのロスチャイルド家が、日本に隠然たる影響力を行使する為、薩長勢力と徳川幕府の双方へ資金を供給したと見るべきなのです。



■世界の富の95%近くを持つ人々

ロスチャイルド家は現代においても、例えば、ソロモン・ブラザーズ Salomon Brothers、ゴールドマン・サックス Goldman Sachs などの投資銀行、証券銀行を擁し、世界金融を支配する金融シンジケートを構成しています。日本の日本銀行に当るイングランド銀行 Bank of England(1694年~)もロスチャイルド傘下の銀行です。

実に不思議なことに、何かにつけこういった人々の名前が表に出ることは先ずありません。世界の富の95%近くを所有するほどの人々であるにも関わらず、これらの人々の活動は謎に包まれ、全貌は杳(よう)として掴めないというのが実態です。とにかく厚いベールに覆い隠された存在なのです。

これらの人々はこのように、私達の想像を超えた強大な権力を行使しているはずですが、その直接的な活動は何処にも見当たりません。そんな存在に対して、全ての原因を都合よく求めること自体、分析事実の信憑性を疑われて当然かも知れません。

しかし、東インド会社やアフリカ開拓の昔から、イギリスやフランスの海外進出は、ヨーロッパを代表する幾つかの名家の莫大な富を背景に行われてきたという動かし難い事実があります。

日本という極東の島国は、彼らにとって格好の前線基地であり、アジア大陸への進出を考えた場合、補給或いは兵站(へいたん)の要衝でもあります。

日本人の教育水準は高く、国民性は勤勉で、当時としては相対的に進取(しんしゅ)の精神に満ちていたと言うことが出来ます。しかも、既に宣教師を大量に送り込んでいたので、キリスト教徒に帰依しなくとも理解を示す者が増え、また外国人受け入れという地ならしも出来ています。つまり、日本の投資環境は申し分ない状況にありました。

諸外国の覇権主義、植民地主義の矛先は、当然のことながら日本に向けられました。だからこそ、開国か否かで日本に国を二分する内戦が起こったわけです。当然、日本に開国を迫ったイギリスやフランスに、そうした外交政策の立案やその遂行資金を提供した人物達がいることになります。

もちろん、ロスチャイルド家だけでなく、その他の名家も名を連ねていたでしょう。そうした名家達による意思決定が明治維新を実現させたと言っても過言ではないのです。



■日本における「勝ち組」の正体

ところで、徳川幕府に取って代わった明治維新の新勢力は、結局どのような人物達でしょうか。もちろん、薩摩と長州の武士達です。脈々と現代に生き続ける、日本の「勝ち組」の正体は、実はこの薩摩と長州を中心とする勢力だと言うことが出来ます。事実、この21世紀の今、政治家、官僚共に、鹿児島県、山口県出身者は数多く、そこには大変な偏りが見られます。

明治維新以来、昭和21年に日本国憲法が施行されるまでの間に任ぜられた延べ45人の内閣総理大臣のうち、薩摩出身者は延べ5人、長州出身者は述べ11人に上っています。倒幕に参加した土佐藩からは延べ1人、肥前藩からは延べ2人で占有率は実に42%を超えてしまいます。大蔵大臣、外務大臣などの主要ポストも薩長閥が殆んどです。

中央省庁の中でも、特に警察庁と防衛省は、薩長の牙城です。鹿児島県、山口県の出身者が多く、事情を知る関係者の間には「鹿児島県、山口県の出身者でなければ出世出来ない」という暗黙の了解があるほどです。最後まで新政府軍と戦った会津藩の福島県には、昭和になってようやく国立大学が創られたというのも有名な話です。

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