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2015年7月19日日曜日

転載記

戦前の日本の軍部独走は、それをマスコミが応援し、それを信じた国民もそれを応援した。
しかし今の安倍政権下の独裁は、御用放送のNHKを除いて、マスコミもそれを批判し、若手を中心に国民の批判の声も高い。
しかもそれをアベシンゾーは分かった上で、『国民の理解が十分でない』と発言した上で、安保法案(戦争法案)を衆議院で強行採決した。

通説では、ファシズムは圧倒的民衆の支持の上に成り立つとされている。
しかし今の戦争法案に民衆の圧倒的支持はない。
ならばこれはファシズムなのか。
これは何なのか。
これはファシズムとは違った何か『あるもの』である。
それはファシズムよりももっとタチの悪いものではないのか。

アベシンゾーは『(民主的合意に向けて)国民に丁寧な説明を行っていく』などとうそぶいているが、そんなことは当てにならない。

民主主義が機能するためには、事実に基づいた正確な情報が必要である。
ところが今の日本にはその正確な情報がない。
あってもそれがあまねく国民全体に行き渡っていない。
こういう中で、国民は何に基づいて正確な判断を下すのであろうか。
多くの国民は政府の説明が胡散臭いことに気づいているが、事実が何かということについては、正確に知らされていない。

私はこの戦争法案は、『アメリカの戦争に日本が協力する危険が発生することだ』と思っているが、それを裏付ける日米間の水面下でのやりとりが正確に報道されているわけではない。
多くの国民と同じように、今までの流れから見た状況証拠によってそれを感じ取っているだけだ。
状況証拠は証拠にはならないというのなら、この話はそれで終わりである。
しかし戦後の日米間の交渉ごとで、正確に報道されたものがあったのだろうか。

民主主義の基礎をなすものは正確な情報である。
今の日本にはそれがない。
いや戦後ずっとそうだったのかも知れない。
確かに戦前の日本には検閲があったが、今の日本には検閲の前に検閲がある。
しかしそういうこと自体がニュースにならないようになっている。
知り合いの息子が大学の研究者になって中国で起こった戦前の南京事件を調べていたら、学長からストップがかかった、ということを小耳に挟んだりする。
このようなことは日本中のあちらこちらで起こっていることだ。
しかも、このようなことは戦後日本の始まりから起こっていたことだ。

このような中で行われてきた日本の民主主義とは何なのか、ということが70年経った今問われている。
政府がNHK会長の人事権を持ち、アベシンゾーに選ばれた籾井という男が会長になり、陰に陽に情報を操作し、戦争法案が衆議院を通過する時には国会中継さえ行わない。
これでは国民は、何が起こっているのか分からないだろう。
アベシンゾーが『国民に丁寧な説明を行っていく』というウソはそういうことなのだ。
人事権を握ることによって、検閲の制度は取らなくても、検閲の前の検閲が行われている。
今の日本はそういう社会だ。
残念ながら我々の世代はそういう世代だ。
2000年代初めから始まった、異様な小泉・竹中改革の中でも、批判はするがそれを公然とは発言しなかった世代である。そういう世代が今社会のトップ層に陣取っている。

『上を批判するなどとんでもない。上の指示を受けてから動くのではすでに遅い。上がやりたいことを先に感じ取って自分で動け』

そのような研修を私は目にしてきた。小泉時代に。
『これでは自分の判断はできないな』
私がそれを悟った時代だった。

そういう人間をたくさん見てきた私は、今の50代が本当に動くとは思えない。
彼らは『お上』に順応してきた世代なのだ。
彼らの子供時代は、1960年代の高度経済成長期で、日本の未来はもっと明るくなるように見えた時代だった。この感覚は今の40代にも一部受け継がれている。

しかし30代は違う。
彼らは日本の未来が明るいなどという幻想を抱いていない。
20才前後に平成不況、就職難など苦しい現実を突きつけられた世代である。
そしてそれは今も過去形では語れない厳しい現実がある。

しかし50代以上の世代は、アベシンゾーを含め『お上に従うことは正しい』としてきた世代なのだ。そしてそれで生きることができた世代なのだ。そのことを他の世代はきちんと抑えておく必要がある。

日本の『お上』とは何なのか。

私が20才のころ『俺はアメリカナイズされてるからなあ』と自慢げにいう友人がいた。
今の若者でそんなことを自慢げに言う者がいれば、周りから笑われるだろう。
この感覚の違いが今の50代には分からない。
ちなみにその友人は今、新聞社のお偉いさんをやっている。
『彼ならこういう記事を書くだろうな』、そう思える記事が日本の新聞には山ほどある。

アメリカのことを批判的に見たことがない人間に、アメリカの占領下から始まった日本の戦後の真実がつかめるだろうか。
日本の戦後報道はアメリカ軍のプレスコードから始まった。いわゆる報道統制だ。

報道統制の中で日本の民主主義が生まれた。
占領政策の中で日本の民主主義が生まれた。
日本の民主主義の発生時点の根幹はここにある。
そこに問題の根が巣くっている。

『よらしむべし、知らしむべからず』
この統治方式の善悪はあえて問わない。
しかし確実に言えるのは、これは民主主義のルールではない。
アベシンゾーの怖さは、そのことを分からないままものを言っていることだ。

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