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2011年5月20日金曜日

この国の乞食集団

また、貼り付けます; 武田先生より、


科学者の日記110517  「福島の胆力」と「乞食集団」




自分が日本人だからかも知れない・・・何回もそう思い直してはいるけれど、それを割り引いても日本人というのは立派な民族だ。


それは今度の地震や原発事故でも見事に示された。


世界でこのぐらい大きな災害が起きても、冷静に我慢強く、礼儀正しく自らを律することができる民族は他にないだろう。


2011年5月16日、私は福島にいって福島県の人とお話しをしてきた。そこで多くの立派な日本人とお会いした。


ある人は絶望の中でも毅然として生活を送り、ある人は不安の中でもそれを必死に耐えていた。そして明るさも失っていない。
私は暴言を浴びせられることを覚悟していたが、温かく迎えてくれた。
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福島の人は「政府がやるべきことをしていない。東電は人の庭を汚しておいて掃除にも来ず、それでも年俸2400万円を受け取るという酷い会社だ」ということが判った上で、それを飲み込み、そして自衛している.


教育委員会の視野には「子供」はなく、ただ自分たちの「保身」だけがあることも承知のうえだ。


指導者と言われる人からのこれほどの仕打ち、それなのに、このような立派な態度、謙虚な心・・・私は、これは日本人だけのことか、福島県民だけのことか?


いや、あのロシア民族のそうかも知れない. かつて見た映画の一場面が思い出される. 


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あの広大なロシアの大地の中で、自然と共に人生を送っていた農夫とその連れ合いの妻。


そこに突如としてヨーロッパの軍隊が襲いかかり、家を焼き払い全てを破壊して去った. 


残された老夫婦にロシアの厳しい寒気と雪が襲う.


「ばあさんや・・・」


農夫は瓦礫になった家の壁によりかかり、老妻と共に1枚の毛布を膝に掛けて遠くを見ている。


「ずいぶん、降ってきたわね」


雪は激しくその老夫婦の上に降り、見るみる内に二人は雪の中に没した。


老夫婦はお互いを愛し、共に生きてきた。今、こうして最後を迎え、二人の間にはいたわりも慰めの言葉もいらなかった。


ただ、心一つに大自然の中に消えていく。


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土の上で人生を送る人たちは、高層ビルで仮想的な競争に明け暮れる東京の下等民族とは違うのだろう.
でも、土の上の人は寡黙で謙虚だ。
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世紀になり、人が人として尊厳ある人生を送ることができるこの社会で私たちは人生を送っているとばかり思っていた。


「その国の政治は、国民のレベルで決まる」


と言う有名な言葉はウソではないだろうか?


首相は毎年、変わり、政権が交代しても公約を守ってはくれない。地震予知にあれだけのお金をかけても1000年に一度という大地震をまったく予知できない。


原発の事故が起こると、国民の待避は遅れる、重要情報は隠す、それに加えて子供を被曝させる文部大臣が登場するという始末だ。


なぜ、これほど「胆力のある国民」と「正義心のない政府」の組み合わせになったのだろうか?


全ての原因は「税金の取りすぎ」だ。


今の政府や官僚、東大、NHKは明確に「乞食の集まり」・・・自ら額に汗して生活をするのではなく、口先で他人の財布からお金を引き抜くことだけに長けた乞食集団・・・であることが、この福島のプリズムを通してみるとハッキリ見える.


人間社会というのは何時になったら一人一人の人間としての尊厳が尊重される時代になるのだろうか?


それは、国民一人一人がどのぐらい「偉く」なったら、実現するのだろうか?


(平成23517日 午前9時 執筆)



武田邦彦

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