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2012年10月7日日曜日

敗戦後の日本の実態、現在も

孫崎享(うける)・元外務省官僚の著書:「戦後史の正体」の読後の抜粋です。

引用:



戦後の日本の歴史を、「対米従属」と「自主」路線との対立という視点からとらえ直したものです。驚かされるような事実がいくつも明かされています。
おそらく、戦後出版された政治関連の書籍の中でも最重要なもののひとつにランクアップされるのではないでしょうか。一読をお勧めします。
・・・略・・・
対米従属の出発点のひとつは、昭和天皇のマッカーサーへの「沖縄譲渡」です。昭和天皇は「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」と、マッカーサーにメッセージを送りました。天皇の政治姿勢が大きな影響をもたらして、日本中がいっせいに占領軍になびきました。

戦後まもなく、日本の独立をアメリカと交渉するにあたって、天皇に上奏したところ、在日米軍の撤退(を要求すること)は絶対にダメだ」といわれ、常時駐留が固定化する一因になりました。敗戦からしばらくして独立を回復するための交渉では、米軍の駐留は有事の場合だけに限る「有事駐留」の案があったのですが、天皇自ら「常時駐留」を強く主張したのでした。天皇は象徴にとどまるどころか、最重要課題で政治的な役割をはたしていたのです。

日本の出版物から占領軍批判を徹底的に除くため、占領軍の「検閲要員」として、高等教育を身に付けた官僚、学者、ジャーナリストらが5000人も動員され、日本中が自ら規制する「占領軍さまさま」の風潮を一気にもたらしました。日本人が日本人のおカネで日本人を検閲し、言論統制を進めていたのです。さらにアメリカは、ガリオア・エロア資金などを活用して、若い優秀な人材をアメリカに留学させ、洗脳して使いました。フルブライト留学生の多くも、アメリカの先兵として育てられました。
つまり現在の日本は、アメリカにがんじがらめにからめとられ、そのくびきから逃れられない深みにはまっていることが明らかにされています。
そして、不幸なことは、日本人自身がそうしたマインドコントロール下に置かれてしまったことを意識できないほどになってしまっている。ことはそれほど重症です。ところが現実の政治も経済も、そしてマスメディアも、アメリカの実質的な支配の現実から目をそらして、偽りの日常を営んでいる。偽りの日常にのうのうとしている。このノーテンキぶり!

検察も、占領直後は旧日本軍の隠匿物資を摘発して占領軍に差し出す、マッカーサーの走狗として出発しました。この隠匿物資は膨大な量の宝石類、金、銀、ダイヤモンドをはじめ、文字通り「お宝」が含まれていました。
検察はスタートからアメリカの諜報機関と密接に結びついていました
敗戦3日目の8月18日には、内務省の橋本警備局長が、進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」を作る案を出し、当時大蔵官僚の池田隼人氏(のちの首相)が、「予算は1億円か。1億円で純潔が守られるなら安い」と即決。10日後には、大森にできた施設に1360人の慰安婦がそろえられたそうです。
孫崎さんは、長く外務省に在籍し、その間に情報の中枢部の国際情報局長を務めたほか、イラン・イラク戦争時にイラン大使として赴任、アザデガン油田の開発権取得に力をつくし、いったんは成功した経歴の持ち主です。その後は防衛大の教授として、防衛大生の育成にあたってきました。その人が乾坤一擲のエネルギーを注ぎ込んで執筆したものです。朝日新聞や読売新聞など大手のメディアには都合が悪いことも書かれているので、例によってこの本は無視されるでしょう。
・・・略・・・
引用了。

追記:

戦争犯罪人の中に関東軍731石井部隊長(満州での細菌開発)は米側との免罪と研究資料譲渡により無罪放免となる。
後に、米海軍の化学・細菌兵器開発施設で資料となり、ベトナム戦に使用(オレンジ・エージェントなる枯れ葉剤となる。

児玉誉士夫・笹川良一などは、隠匿物資をCIAに提供し、巣鴨刑務所から放逐。

さらに、CIAにより共産主義者摘発のため、特捜検察部創設。




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