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2014年2月25日火曜日

無題

年金や健康保険でメタボになった日本と、老人ホームや介護施設がいらないフィリピン(ダイヤモンド)
http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/795.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 2 月 23 日 16:13:00: igsppGRN/E9PQ

マニラ、ケソン市郊外にある外国人向けの介護施設。住宅街にある一戸建てをケアハウスに改築している【撮影/Alt Invest Com】

年金や健康保険でメタボになった日本と、老人ホームや介護施設がいらないフィリピン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140223-00048770-diamond-bus_all
ダイヤモンド・オンライン 2月23日(日)16時0分配信

 フィリピン在住17年。元・フィリピン退職庁(PRA)ジャパンデスクで、現在は「退職者の ためのなんでも相談所」を運営する志賀さんのマニラレポート。社会福祉のおかげで家族制度が崩壊しつつある日本。一方、家族という強力な社会制度を維持するフィリピンは、何があろうが生き抜く活力に満ちている。
● 日本は国家の福祉に頼らざるをえないメタボ社会
 日本では予備軍も含めて800万人の認知症のお年寄りがいるという。そしてこの方たちの多くが、一人あるいは夫婦だけで暮らしている。私のまわりを見渡して見ても、子ども夫婦と一緒に暮らしているお年寄りはほとんどいない。お年寄りは皆、口をそろえて「子どもたちに面倒はかけたくない」と話す。そして子どもたちも将来、親の面倒を見るという気はない。
 かといって、いざ親が認知症など介護を必要とするときが来たら放っておくわけにもいかない。特別養護老人ホーム(特養)は40万人の入居待ちがおり、私設の有料老人ホームに入れようにも一般人には高嶺の花だ。
 そうなると介護のために会社を辞めたり、離婚して親の介護に専念したり、自分の家族を犠牲にせざるを得ない方も多い。だからこそ、お年寄りはますます子どもに面倒をかけまいと、一人住まいや介護拒否が加速する。そして最終局面では、面倒を見るほうも見られるほうも地獄を見ることになる。
 日本は戦後、年金、健康保険、介護保険、生活保護などの社会福祉を充実することにまい進してきた。しかし本格的な少子高齢化社会の到来で膨大な国家予算をつぎ込むことなり、その破綻は秒読み段階に入っている。日本はそれぞれの福祉制度に、フィリピンの国家予算をはるかに超える予算を割り当てている。しかもそれは、国債などの借金で賄われているのだ。
 政党は票集めのために社会福祉の充実を旗印にしているが、現実は年金支給開始年齢の引き上げ、個人負担の増額、在宅介護の奨励などコスト削減にやっきだ。このままでは膨大な国家の負債により財政、そして国が破綻してしまうからだ。
 しかし手厚い福祉制度に胡坐をかいて、核家族化と無縁社会をまい進してきた日本人は、国家の福祉に頼らざるをえない体質(メタボ社会)になってしまっている。
● 介護問題の解決策を海外に探る日本 介護問題のないフィリピン
 先般お世話したお年寄りはすでに軽度の認知症で、高齢の奥さんにとってその介護は過酷で、精神状態までおかしくなりかねない切羽詰った状態だった。お子さんにはそれぞれの生活があり、介護を助けることもできない。特養に入れようにも、この程度の認知症では対象外と門前払いをされ、申し込むことさえできなかった。私設の老人ホームに入れたら財政的に子どもたちの生活が破壊されてしまう。
 解決策として考えたのがフィリピンでの介護で、外国人を専門に面倒を見ているWellness Placeというところに父親を預けた。月々10数万円の費用で、これならなんとか賄える。
 これで家族崩壊の危機を乗り越えることができたが、この選択は海外に居住する息子さんあってのことだ。今後、介護老人を抱える家庭は、国を頼りにするのではなく、日本を脱出して自ら解決策を海外に探る以外に方法がないかもしれない。
 一方、フィリピンには老人介護の問題も少子化の悩みもない。国民の半数が貧困という社会だが、老人と子どもは強い家族の絆に守られて幸せに暮らしている。介護施設も皆無で、自分の親を介護施設に送る込むような不謹慎な子どもはいない。フィリピンでは老人と子どもは神の子であり、天使なのだ。
 それでは、日本のお年寄りはなぜ子どもに面倒を見てもらうことを拒否して、一人暮らしをするのだろうか。逆説的な言い方だが、財政的に可能だからこそ、一人暮らしをするのだ。たしかにお金さえあれば、いろいろと面倒な家族などいないほうが気楽でいいかもしれない。嫁姑の確執もないし、夫婦の揉め事も、兄弟や子どもが持ち込むトラブルに悩まされることもない。
 財政的裏づけとは社会福祉の目玉、年金だ。年金さえあれば、子どもを頼りにしなくても老後の暮らしが送れる。老いて子に従う必要もなくて、好きなときだけ土産を持って孫の顔を見に行けばよい。年金がもらえない人は生活保護という便利な制度まである。 一方、フィリピンでは年金制度はあったとしてもささやかで、それにあやかれる人も少数だ。まして生活保護なんてありえず、人々に国家に頼るという発想はない。
 フィリピンでは老後の保険に子どもを作るという考えがある。だから、子どもがいない夫婦は子どもをもらってまで育てる。そうやって家族を維持して、老後の備えをする。
 彼らにとっては、家族を作る過程こそが人生であり、喜びなのだ。そして、老後はその果実をエンジョイする。これは人類が数百万年続けてきた仕組で、ほんの数十年前に作られた年金制度で代用できるわけがない。年金や生活保護など社会福祉と呼ばれる先進国の誇りである福祉制度が家族を崩壊させる原動力となったのではないか。飽食によるメタボが肉体を蝕むことに通じるところがある。
● 老人が死なない日本 家族が見守るなか、すみやかに旅立つフィリピン
 最近、こんな話をビザ申請に訪比された退職者と話をしていたら、その方は「さらに老人が死なないんだよね」といった。寿命を全うすべき老人が、医療の力で生きながらえ、膨大な医療費を浪費している。回復する可能性がなくても、医療関係者はあらゆる手を尽くして死なせない。医療機関は健康保険のおかげで取りっぱぐれぐれがないから、高額な延命治療を施す。このことが多大な財政負担を国家に強いる。
 一方、フィリピンでは、健保の制度はあるもののその恩恵は少額で、限られた人々のものだ。だから老人が大病を患うと、その家族が賄うことができる範囲の治療しか施すことができない。病院も、支払いの保証がないかぎり治療を行なわない。行き過ぎた延命治療はありようがないし、あったとしても一部のお金持ちのセンチメンタルでしかない。老人は不治の病を患うと、家族が見守る中、すみやかに神の元に旅立つのだ。
 健康保険制度が医療制度を捻じ曲げ、意味のない高齢化社会を作り出す一因となっている。
 年金も健保も不十分なフィリピンは、家族という強力な社会制度を維持しているために、何があろうが生き抜く活力に満ちている。一方、日本は社会福祉のおかげで、家族制度が崩壊しつつあり、まさにメタボで瀕死の状況だ。このまま家族という仕組みを取り戻せないと、フィリピンにとって代わられてしまうかもしれない。
 (文/志賀和民)

 著者紹介:志賀和民(しが・かずたみ)
東京出身。東北大学大学院修了後、日揮(株)入社。シンガポールにをかわきりに海外勤務を歴任。1989年日揮関連会社社長に就任しフィリピンに移住。2007年4月PASCO(サロン・デ・パスコ)取締役。

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