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2015年1月15日木曜日

いまだに日本を大国と思っている人々 身の丈を知ること

2015年01月14日
 ネットサーフしていたら、奇妙な見出しが目に入った。“ 中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか ”と云う産経のコラムだ。おそらく、このような感情は、1960年から1980年代の日本の高度経済成長を経験した者たちが共通して持っている「見たくな いものから、目を背ける。見たいものしか見ない」酷く情緒的国民感情なのだろう。この空気感は無視できないのだが、国力を多岐に論理的に分析すれば、経済 的には二等国から三等国を上下する地位にいずれ落ち着くのは、残念ながらほぼ確実なのだ。

 中国の外交上の思惑によって、日本の扱い は、大国にもなるし、周辺国にもなるし、外交政策上無視する存在になることもあるのだろう。大切なことは、中国の目から見た日本ではなく、自分たちが理解 する日本と云う国が、世界に対し、どの程度の影響力を持っているか、その分別は自己分析でなされるべきだろう。他人様の思惑によって、その評価に一喜一憂 していたのでは、自分を見失うと云うことに他ならない。
日本人は世界のランキングなどと云うものに、非常に強い関心を持つのも、本当に自分の国が、どのようなもので、どのように機能しているか、知らないからな のだろう。特に経済的豊かさで、自国を採点する民意は、第二次世界大戦の敗北により、欧米型のデモクラシーと云うものを与えられたとも言えるし、押しつけ られたとも言える。民意が天皇制を否定したわけでもないのに、民主的手続きなしに、日本は敗北により、強制的に天皇制を捨てさせられ、強制的に民主主義的 な振舞いを強制されたとも言える。逆に、負けた癖に、突然ご褒美を貰ったような錯覚も味わったのだろう。

 自ら闘って得た政治体制でな い限り、その体制の維持は、己の魂的な叫びや希求ではなく、もっと現実的な飢えを凌ぐものとして利益的だったと言える。その上、占領軍であった米国は、ソ 連邦共産主義陣営の不沈空母として、日本列島を最期の砦に見立てたお陰で、やらずボッタクリな経済運営が可能になり、60年から80年にかけての高度経済 成長を見逃され、日本人は総体的に個人的守銭奴化国民になっていった。それでも、80年代、90年代までは、企業が終身雇用制を維持できたので、自分が属 する共同体のようなものが存在した。

 日本は大規模な貿易黒字を抱え、米国は相応の大規模赤字を抱え、双子の赤字に陥り、ドルの相場は 不安定に拍車を掛けた。ドルの安定化を目的に、1985年、にプラザ合意がなされ、1ドル235円程度だった円は、150円レベルまで円高に政策的に引き 上げられた。この合意は、日本経済が、アメリカを助ける決定のように受け取られ、二等国から一等国への仲間入りを果たした瞬間でもあっただけに、経済的に は不利でも、国の価値が上がったと云う日本人のプライドをくすぐった。この流れの継続が紆余曲折を経て、1ドル75円にまで至るのだが、ここまで来ると、 一等国になった喜びよりも、現実の痛みの方が実感的になった。

 まあ経済的側面に価値をチェンジしてきた日本国民は、民主主義の体制は 自明なもので、資本主義で勝者であれば、国は豊かで尊敬される存在なのだろうと思い込むようになっていた。つまり、真っ当な資本主義が機能すれば、民主主 義など、自動的について回るものだと錯覚していた嫌いがある。ところが、経済がグルーバル化して、「ヒト・モノ・カネ」が個別の企業を想定する形で資本主 義から、国境を越えて、その共同体であった企業に、「ヒト・モノ・カネ」の分散化が起きた。

 このグローバリズムな経済の変化は、所謂 資本主義の本質的形態を歪め、主役として「カネ」だけが突出する経済体系を生みだした。それが資本主義を乗っ取る「IT金融主義」なるものなのだ。こうし た経緯を経た、旧来の資本主義は弱まり、IT金融主義が世界経済を席巻しているのが、現在の資本主義の変形である。こうなると、資本主義の存在自体が危う いものになってくる状況は、さらに継続的に深化することになるので、日本人の戦後の共同体意識の基盤であった、個別企業の存在が「ヒト・モノ・カネ」を共 有できる存在から、どんどん遠ざかってゆく。

 つまり、戦後の日本人を支えていた人為的に作られた共同体意識が崩壊してゆく。企業を中心 に仲間意識を育てる癖がついてしまった日本人は、気がつくと、自然の生活の営みから自然発生する地域における共同体意識を消滅方向に導いてしまっているの で、今さら、それを思い出し戻すのは、潜在意識の問題なのだから、容易なことではない。戦後の流れだけでも70年の年期が入っているのだから、新たに共同 体意識が構築できるとしても70年、100年はすぐに過ぎていくのだろう。

 本来の資本主義に傾倒し、その営みの付属品のように思われて いた民主主義も、当然のことだが、資本主義の変形乃至は消滅により、自動的に同じ運命になる。つまり、いま現在の日本人には、離れ小島になってしまった民 主主義の扱い方や、その機能を有効化する手立てが見つからない状況に陥っている時代と言っても良いのだろう。このような宙ぶらりんの状況がいつまで許され るのか判らないが、食潰す資産のあるうちに、次なる民主主義を意識できるプラットフォームを作らなければ、俗に言う三等国への道は早々に来るだろう。

  経済的成功による、国家の価値観を変換する器量が、日本人にあるかどうかの問題なのだが、現時点では、欧米型の民主主義と資本主義が、いまだに機能してい ると信じている日本人が多いので、変換しなければならないと云う機運にさえも着いていない。現在の安倍政権もが、その壊れかけた価値を「普遍的価値観」と 捉えて恥じないのだから、緒にも就いていないのは自明だ。しかし、政府よりも、生活している国民の方が賢明だろうから、いつの日か、日本が生きる方法論 に、独自性を持って生きる道を探し出すのではないかと、のんびり期待している。おそらく50年以上は先のことだから、小生は死んでいるね(笑)。

≪ 中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか
 中国にとって日本は大国か否か。中国はこれまで日本を大国として位置付けてきたが、その中国の対日観に変化はあるのだろうか。
 中国は外交において、相手国を大国、周辺国、発展途上国の3つに分けている。もっとも、この分け方も不変ではない。
 中国外務省が毎年、編集、出版している外交白書「中国外交」を見ると、2002年の外交を論じた03年版までは、西側先進国、周辺国、発展途上国の3つに分けており、日本やロシアは周辺国の範疇(はんちゅう)に入れられていた。
 03年の外交について記した04年版の外交白書からは、西側先進国が消えて大国が登場し、現在のような分け方になっている。この変化に伴い、ロシアや日本は米国や欧州連合(EU)とともに大国に分類された。
 西側先進国から大国への変化は、ちょうど江沢民時代から胡錦濤時代への転換と一致しているが、文化大革命後の急速な経済発展による中国の台頭、中国の大国化ともかかわっているといえよう。
 中国の外交白書において、日中関係はその後、常に大国との関係の一部として論じられてきた。
 ただ、両国関係が悪化していた小泉時代の05年の外交について記した06年版外交白書は、日中関係を大国との関係ではなく、周辺国との関係に含めている。
 もっとも、06年の外交を論じた07年版外交白書では、安倍政権の登場で関係が改善されたこともあり、日中関係は再び、大国との関係の中で記されている。
 胡錦濤時代から習近平時代に移行した13年の外交を論じた14年版の外交白書では、米国、ロシア、EUとの関係は従来通り、大国との関係として触れられているが、日本との関係は言及されていない。
 周辺国との関係にも日本は登場せず、わずかに別項で、尖閣諸島問題などに関する記述があるだけだ。  中国にとって日本はもはや大国ではなくなったのか。それとも、06年版の外交白書と同じく、関係悪化を背景とする一時的なものなのか。
  王毅外相は昨年末の講演で、日中関係について、大国外交ではなく、周辺外交の部分で言及している。  中国にとって日本とは何かという問いは、日本にとって中国とは何かという問いと同様、きわめて重要なものである。戦後70年となる今年、私は日中関係の 改善を願うが、あまり楽観的にはなれない。 ≫(産経新聞:フジサンケイビジネスアイ 元滋賀県立大学教授・荒井利明)

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