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2015年1月16日金曜日

「天皇」という力の正体とは?(2)~戦前の皇室財産の規模と内容

前回記事で、戦前の天皇および宮内省は、三井や三菱、あるいは当時のロックフェラー家をも凌駕する「財閥」だったという事実を、吉田祐二著『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から紹介した。
では、当時の天皇の財産の「中味」とは、どのようなものだったのか。
引き続き同著から紹介する。
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■日本一の大地主にして、日本一の金融王
以下、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』より、皇室財産の形成に関する記述を抜粋引用する。
 帝国議会設置が決まった明治十七年(一八八四)から、大日本帝国憲法発布までの同二十三年の間に、皇室財産は着々と形成されていった。
その第一弾は明治十七年、政府が所有していた日本銀行、横浜正金銀行株の移管、第二段は佐渡、生野両鉱山の移管(明治二十一年)、最後に、国有林原野の皇室財産への編入(明治二十三年)であった。これにより皇室財産の原型ができ上がった。
(『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』第1章より。以下同)
天皇家の莫大な財産、その源泉は山林や土地管理による収入、および主に金融機関の株式によるものである。その状態を端的に「財閥」とみなしたのはぺヴズネルである。(中略)『日本の財閥』のなかで、ペヴズネルは天皇家を「財閥」と規定し、以下のようにまとめている。
一、天皇の家族は、日本でもっとも富裕な家族である。一流コンツェルンの所有主の個人的財産は、十億円を超えない。ところが天皇の財産は十五億九一〇〇万円である。
二、天皇は、日本一の大地主である。彼は(山林付属地を含めないで)一三〇万ヘクタールの土地をもっている。それは、一ヘクタール以下の土地をもつ農民経営三七〇万戸のそれ(一三一万六〇〇〇ヘクタール)に匹敵する。三、三億円を超える有価証券の所有主として、天皇は日本一の金融王である。
とくに注意をひくのは、天皇が日本銀行と横浜正金銀行との最大の株主だという事実である。
こうしてこれらの半官銀行は、実質上天皇一族の統制下におかれたのである。天皇の参加しているその他の半官諸会社において、かれに所属する株式の数は比較的少なかったとはいえ、しかし国内の元首としてかれの勢威を考慮するならば、これらの会社(興業銀行、台湾銀行、「東洋拓殖」、満鉄)もまた、日本の最大資本家としての天皇の統制下に相当程度おかれていたと断言することができる。
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現在、日本銀行の株の51%が日本政府所有であることは明らかになっているが、残りの49%は公開されておらず謎に包まれたままである。少なくとも戦前は、天皇家が過半の株を保有していた。戦後処理によって天皇家の日銀株が政府保有とされたのか、あるいは天皇家以外の株が国有化されたのかによって、現在の日銀の見方も大きく変わってくるのだ。
■国家に金を貸していた天皇
また、皇室財産の中で、国債の占める割合も高かったという。
一方、左翼的論者のなかには、天皇家における国債および地方債の多さをもって、「寄生的な利子付き資本」であると非難する向きもある。先に引用した戸田慎太郎『天皇制の経済的基礎分析』において、以下のように批判している。
 特に注意すべきは、皇室所有有価証券中、「国債」の持つ額高が極めて大きいと云う事実である。この事は注意を要する。何故なら、一方に於て所謂国家財政が厖大な赤字を出し、火の車である時に、自らその公的機関たる事を主張し、事実に於いても国家の最高機関たる皇室(=宮内省)が、国家そのものに対して莫大な債権を持ち、年額にして凡そ七八百万円の利子を搾取していると云う自己矛盾を示しているからである。この事は国家制度としての天皇制の寄生的絶対主義的性質を示すものでなくて何であろう。
(『天皇制の経済的基礎分析』九八ページ)
つまり天皇家は国民が困窮しているときに、手を貸すどころか国民を借金漬けにさせ、その利子を貪っていたというのだ。これも一面では真実なのかもしれない。
こうした記述を見る限り、戦前の天皇とは、国家の最高機関でありながら、行っていることは「金貸し」と同じだったと言っても良いものである。現に、同著で紹介されている研究(黒田久太『天皇家の財産』)によれば、大正初期から第二次大戦終戦までの約30年間で、皇室財産は約2.5倍に増大している。戦前の日本経済は、産業振興や戦勝による国富の増大を次々に天皇家に集約してゆくシステムだったと言える。
では、国内最強の財閥であり金融王であった天皇家とは、明治~戦前の近代史において、具体的にどのような力を振るい、歴史的事件に関わっていたのだろうか。引き続き同著から紐解いてゆく。
(つづく)

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