今までは、サラリーマンというのは安定した職業であると言われてきたが、もう昔話だ。企業は終身雇用を完全に捨て去ろうとしている。
しかも、今後は正社員を雇うのをあらゆる手段で避けるようになっている。この社会の変化の直撃を受けたのは最初は若年層だったが、この影響は中高年にも及ぶようになっている。
ここ数年来の動きを見ても分かる通り、東証第一部上場の一流企業でさえ、不況時のリストラはおろか、好況時のリストラすらも行うようになっている。
会社の経営が傾けばリストラ、好況になったら不況に備えてリストラをしているのだ。好況時のリストラは、主に中高年が中心になる。会社は退職金を余分に払って、中高年に辞めてもらおうとしている。
今の40代以上の中高年は年功序列を前提に雇い入れた人材なので、コストがかかる。だから、中高年を辞めさせるのが効果的なコスト削減となる。
人材使い捨てが中高年にまで及ぶようになった
若年層から始まった「人材使い捨て」は中高年にまで及ぶようになっているので、国民の8割がサラリーマンである日本社会には衝撃的な変化であると言える。
中高年は、いったんリストラされたら、転職しても次の企業では間違いなく給料は下がる。
企業全体が競争力を高めるために人材削減を行っているのだから、リストラされた中高年を正社員で雇いたいと思う会社は少ないし、あったとしても人件費を抑えたいわけだから転職で高給になるわけがない。
一部のエリート・サラリーマンのように、ヘッドハンティングされて給料が上がっていくケースもある。しかし、普通のサラリーマンの場合は、基本的にはリストラ・転職で給料が激減する確率の方が高い。
そして、次は正社員という安定的な身分になれないケースも多いので、人生設計はとても不安定なものになっていく。この流れが2000年以降、日本では決定的なものになった。
社会構造が変わり、日本人はもう会社に頼らないで生きていかなければならない時代に突入している。会社に頼れず、国にも頼れない。
何にも頼れないのであれば、自分自身で何とかするしかないが、それができないから誰もが生き方に苦悩している。
今後、間違いなく言えるのは、ほとんどの人は「今よりも生活レベルが落ちる」ということだ。企業が「人間切り捨て」「人材使い捨て」になっているのだから、多くの人がそれに巻き込まれていくのは目に見えている。
絶望と貧困が、すぐ隣にやってきている
日本人の給料は下がり続け、日本人の資産は減り続けていく。給料も減るのだから貯蓄額も減る。高齢者が増え、その高齢者が貯蓄を切り崩すのだから、貯蓄率も減る。
日本は少子高齢化が加速しているので、一部のブランド地区をのぞけば、多くが不動産の価値は下がっていく。にも関わらず、住宅の供給は増えているので、ますます資産価値は下振れしていく。
ほとんどの日本人は、今よりも貧しくなり、生活レベルが落ち、中には生活困窮で追い詰められる。
バブル崩壊以降、この流れは一度たりとも変わったことがない。良くなるどころか、まるで真綿で首を絞められるように、どんどん追い詰められている。
貧困は、すぐ隣にやってきている。誰もがそれを無視できないほど巨大なものに膨れあがっている。
これほどまで危険な世の中になっているのだから、多くの日本人が考えるのが「防衛」なのである。
現在、高齢者の多くが必死で消費を抑えており、それが内需を停滞させていると言われている。彼らは投資もしない。
その理由は明白だ。使えば金が消える。投資に失敗しても金が消える。そして、いったん金を失ったら、国も子供も誰も面倒を見てくれない。
高齢者にとって、自分の身を自分で守るというのは、「消費を極限まで抑えて、ひたすら資産を守る」ということなのだ。
そうしないと、将来はのたれ死にしてしまう可能性もあるのだから、嫌でもそうせざるを得ない。これからも、高齢者の孤独な防衛は続くだろう。
絶望的なまでに生きにくい世の中になっている
若者が車を買わなくなったとか旅行をしなくなったと言われて久しいが、それも無駄金を使いたくないという防衛意識が働いているからでもある。
また、若年層は結婚もしなくなっている。賃金が低く、将来に夢も描けないので、結婚はとても遠い。失業して相手に迷惑をかけたくないという遠慮もあるはずだ。結婚しないというのも、一種の「防衛」だ。
中高年も消費を抑え、貯蓄を減らさないようにしている。中高年は自分の面倒だけではなく、家族の面倒も見なければならないわけであり、そのためにも生活防衛に走らざるを得ない。
そう考えると、今や日本中が精神的に追い詰められて、自分の面倒を自分で見るために、「金を使わない」ことになるのは必至である。
日本の内需が増えていくというのは、相当な構造変化がないとあり得ないことであり、日本経済は目に見える形で萎んでいく。そして、日本の内需が萎むと、日本企業もまた萎む。
日本企業が萎むとさらに就業環境はひどいものになっていき、リストラも恒常化していく。
「どこかの企業に勤めて、つつがなく生きる」というのは、もう安定した生き方でも何でもない。老後は国に面倒を見てもらうというのも成り立たない。もう、ハシゴは外された。
今後、「なるようになる」では追い詰められる。
絶望的なまでに生きにくい世の中になっているのだが、環境はますます苛烈になっていく。その中で、必死で生きなければならないのが私たちである。
さしずめ、生き残るために何をしたらいいのかというのは、今や誰もが自分に問いかけなければならない課題となっている。
「自分はいったい、何ができるのか……」
これは、もう先延ばしできない重要な人生の課題である。悪化していく社会環境の中で、果たしてあなたは何を武器にして生きていくのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿