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2014年1月6日月曜日

金貸しの本尊

【幕末維新の代理人】代理人認定#12 岩崎弥太郎 第6回~明治維新の激動に紛れた俄分限 三菱・弥太郎の軌跡~

新年あけましておめでとうございます m034 
 
昨年は、特定秘密保護法の公布(12月13日)や日銀の異次元緩和を始めとし、国民の十分な合意や理解を得ないまま、国家権力を増長させる方向に日本社会が動きました。2014年以降もこの傾向は変わらず、残念ながらあまり明るい未来にはならないと当ブログは見ています。

これら政府や日銀の動きは、とても国民や国家を守る行動とは思えません。なぜこうなってしまうのでしょうか?
それは、政治家や官僚は金貸しによって支配、操作されているためです。己の利権を守るためには、(国民よりも)まず金貸しの支持を得なければならない。この構造から脱却しない限り、金貸しによる国家支配は続きます。

昨年からお送りしている【幕末維新の代理人】シリーズでは、この金貸しの支配構造が生まれた、幕末~明治に焦点を当てています。欧米列強の武力によって、幕末の開国=市場開放がなされ、明治政府の樹立=近代国家の成立も背後にいた金貸しの思惑によるものでした。
この激動の時代に名を馳せた著名な人物のうち、欧米列強の金貸しの力を利用、あるいは彼らと結託して、日本の内側から開国の鍵を開けた人物たちがいます。それらの人物にスポットを当て、現在も連綿と続く金貸しの支配構造を明らかにし、それを広く知らしめ、来る日本社会を明るいものにしたいと考えます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は、昨年4回に渡ってお送りした三菱・岩崎弥太郎シリーズの総集編をお送りします。

◆弥太郎と三菱の歩み
下の画像は、東京駅周辺で三菱グループが所有するビルを示したものです。
(写真は こちら よりお借りしました)
 
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驚くべきことに、東京駅と皇居を結ぶ丸の内エリアの土地とビルのほとんどを、三菱は所有している。 三菱以外にも、三井や住友など同様の財閥は他にもあるが、これほど東京駅前の一等地を所有しているものは、いないだろう。   しかも、三菱はその中でも一番若い。三井や住友が三百年以上の歴史をもつ旧家であるのに対して、三菱は幕末の動乱期から明治にかけて政商として巨万の富を得て急成長した財閥である。   この時期、なぜ三菱のような若輩が急成長を成し遂げることが出来たのか? そして「政商として巨万の富を得た」とは、一体どういうことだったのだろうか?   岩崎=三菱は、坂本龍馬の海援隊を引き継ぎ土佐商会として海運事業をスタートさせる。そして後藤象二郎の経営する鉱山を自らのものとし、船と燃料の両方を手中に収めることで、さらに海運事業を拡大へ導く。   そして明治天皇の庇護の下、政商として活躍、後に勲四等を授与される。そして、やがては海運事業を独占。西南戦争では海運輸送をも独占した。また、廃藩置県の時、藩札を安値で買占め、それを政府が回収することで大儲けをした。また、一説によるとこの時代、天皇家と共に人身売買に手を染めていたという話も聞く。
 
ここで、弥太郎の歩んだ歴史を年表で振り返ってみます。

<年表>
1835年 土佐国安芸郡井ノ口村の地下浪人、岩崎弥次郎と美和の長男として誕生。
1853年 嘉永6年(1853年)にアメリカ合衆国海軍の東インド艦隊艦船、日本の江戸湾浦賀に来航
1854年 嘉永7年3月3日、江戸幕府とアメリカ合衆国が締結。日本側全権は林復斎(大学頭)、
     アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー。
     この条約により下田と箱館(現在の函館)を開港、鎖国体制は終焉を迎えた。
1857年 井ノ口村追放の判決が下り、神田村に転居し漢学塾を開く
1858年 吉田東洋の少林塾に入塾
1858年 日米修好通商条約
1859年 海外事情調査のため、長崎派遣を命じられる。
1860年 辞職願を提出し、金策のため無断で長崎から帰国し、免職・譴責処分を受ける。
1862年 郷士の高芝玄馬の次女、喜勢と結婚
1866年 後藤象二郎は土佐藩の「参政」(最高権力者)となる。
1866年 薩長同盟 慶応2年1月21日、京都二本松薩摩藩邸で幕末の薩摩藩と
     長州藩の間で締結された政治的、軍事的同盟。
     土佐藩に開成館が開設
1867年 開成館長崎出張所が開設 ここで弥太郎は働き始める
     同年龍馬とも長崎で会談
     5月 いろは丸事件 
     海援隊乗船のいろは丸が紀州藩船明光丸と衝突し沈没。弥太郎は紀州藩と
     粘り強く交渉を続けて多大な賠償を取りつける。
     後藤象二郎から、土佐商会の業務を一任される。
     イギリス公使パークスと談判
     大政奉還/明治元年
1869年 開成館大阪出張所へ転勤
1870年 九十九商会誕生 大坂商会が九十九商会に改称。海運業に従事するようになる。
1874年 三菱商会が、本店を東京に移し、三菱蒸汽船会社と改称。
1876年 社員に賞与を支給 ピー・アンド・オー社との上海・日本航路を
     めぐる戦いに勝利し、社員の努力に報いるために賞与を支給。
     日本で初めてのボーナスとされる。
1877年(明治10年)  西南戦争が勃発し、政府の軍事輸送を請け負う
1882年 共同運輸会社が営業を開始:三井財閥などの反三菱財閥勢力が
      投資して共同運輸会社を設立。海運業を独占していた三菱に対抗した。
1885年 下谷茅町の岩崎邸で死去
参考)Histy 

◆国賊と非難された三菱・弥太郎の暴富ぶり
 
1.金貸しの手先グラバーとの共謀
長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーと弥太郎。二人の関係は三菱を発足させる以前から始まっており、後年渉外係顧問として三菱・弥太郎に雇われているほどです。

弥太郎(左)とグラバー(右)

遠洋航海の経験も海運業の知識もなかった弥太郎は、グラバーの紹介で英国商船隊の中でも名船長の誉れが高かったキャプテン(ウイリアム)・ウォーカーに会って事情を説明し、自分の秘密相談役となってこの事業への協力を依頼した。ウォーカーは快く協力を約した。弥太郎が、後に海運業を発展させたノウハウの基礎はこのとき確立されたといってよい。 参考:リンク 

グラバーは弥太郎の友情を多として、生涯を三菱のために尽くした。事業意欲旺盛な弥太郎は、日本に本格的なビール醸造事業を起ちあげたいと考えていた。日本で初めてのビール醸造所は、アメリカ人ウイリアム・コープがつくったスプリング・バーレー・ブルワリーだった。明治17年末のことである。このブルワリーが経営不振に陥っていることを聞きおよんだ弥太郎は、その買収をグラバーに相談した。
 しかし、弥太郎の持ち時間はもうなくなりかけていた。翌年の1月、胃がんの診断を受けた弥太郎は、早くも2月7日、帰らぬ人となった。享年50歳。あまりにも若すぎる死だった。
(参考)~来日後のグラバーの歩み~
来日2年後独立。ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてトーマス・グラバー商会を設立。
デント商会、サッスーン商会などの大手商会ともエージェント契約を結び、1862年にはアーノルド商会、ブレイン・テート商会ともパートナー契約を結ぶ。
この頃、グラバー商会と名称を改め、茶の再生工場を手掛け、茶の輸出を主要な業務としていった。
1863年から1865年頃、グラバー商会は長崎からの茶の輸出量の20~30%を占めるまでになる。
やがて幕末志士と絡み、あるいは反幕府的な雄藩への武器弾薬、艦船の販売へと手を広げていく。
重ねて、対峙する旧幕府側のも武器を販売し、武器商人としての手腕を振るい始める。
(フリーメーソンの思想である)自由・平等・博愛(友愛)を勤王の志士達に培養していく。
五代友厚、寺島宗則、伊藤博文、井上馨、坂本龍馬・・・・・・何れも、グラバー邸に匿われた志士達である。
 
2.三菱の財源となった「いろは丸事件」の真相(仮説)
土佐藩(24万石)は坂本龍馬の海援隊を利用して、財政豊かな紀州藩(55万石)から金を取るために、汽船の衝突を演出した。(近年の調査から判明しているように)いろは丸には当然積み荷など最初から積んでなかった(積み荷がないのだから、完全沈没しないと都合が悪い)。そしてその賠償交渉には、龍馬が全面に立ち、幕末の日本には全く馴染みのない「万国公法」を用いて権利を正当化し、賠償金をせしめた。元々「いろは丸」は借りた船なのだから、伊予大洲藩に賠償金を支払うべきだが、その史実もないことから、土佐藩がそのまま横領した。土佐藩は参政が後藤象二郎で、財政の一切を岩崎弥太郎が仕切っていたことから、必然的に2人がその金をせしめた=計画的を企てた主犯格だったのではないか? つまり、この金が土佐藩=岩崎弥太郎→三菱の原資となったと思われる。 そして、龍馬は何者かによって殺された。

3.官との癒着 払い下げとなった軍艦で大儲け
明治新政府は藩営事業を禁止しようとしていた。足を中央に抑えられては、これから飛躍しようとしている土佐人の立場は脆弱なものになる。藩の事業が禁止される前に私商社を立ち上げ海運事業を引き継がせてしまおう。そうすれば、少なくとも高知・神戸航路は引き続き確保出来る。林有造ら土佐藩首脳はそう考えた。翌年10月、土佐藩士たちにより、九十九商会が設立された。藩の立場から事業を監督するのが弥太郎だった。藩船3隻も九十九商会に払い下げられた。

4.インサイダーの走り藩札買い占め
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であるが、いわば弥太郎は最初から、政商として暗躍した。今でいうインサイダー取引である。

要するに上級藩士と協力して、藩(公)から民(私)へと資産を移動させ、国(幕府)や地方(藩)の資産を、自分達で使えるように手を打ったということ。その巨額資産が三菱の礎となった。弥太郎ばかりが取り上げられるが、彼のような地下浪人を使い、民営化(実質は国力の私有化)を進めた、林有造や後藤象二郎のような上級藩士もたくさんいた。

5.海運業を制す
 【三菱が東京進出1年にして海運界のトップに伸し上がった裏事情】「日本人が知らない恐るべき真実」から紹介します。  三菱の汽船事業は当初赤字続き。そこで料金を半額に下げて、夏は団扇と氷水をサ-ビスした。すると三井は料金を3分の1に下げてきた。三菱と三井の苛烈なダンピング競争が始まった。ダンピングに堪えられなくなった中小の船会社はバタバタ倒れていって、残るは三菱のみとなった。  しかしこの時、不思議なことが起こった。政府の公金を扱っていた三井と小野、島田に対して、政府は、預り金と同額の担保を入れよと命じたため、小野と島田が倒産してしまったのだ。そこで政府はこれまでに放漫に出していた政府資金の回収に取りかかった。そのため日本郵便蒸気船会社は借入金40万円の返済を命じられてよろめきだしたのだ。いったい何が起こったというのだろうか。陰謀に通じている諸君は、もうお分かりだろう。この三井と三菱のダンピング競争は、出来レースだったのである。つまり三菱と政府・三井の間で予め合意が出来ていたということだ。その目的は、中小の船会社を倒産させて、三井と三菱で航路を独占することにあった。ついでに小野や島田などの富商も倒産させてしまう。政府は三菱を潰すことなど、鼻から考えていなかったのである。  その後、弥太郎は台湾出兵の時に政府に船を13隻買わせて、漁夫の利を得た。おまけに台湾航路も開設した。三菱汽船の攻勢に劣勢となった日本郵便蒸気船会社は解散させられた。所有船として使えるものと倉庫などは三菱が引き取った。こうして三菱は所属船舶40余隻という日本最大の船会社となった。
【西南戦争で三菱商会はこの戦争で政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受けたばかりか、戦争終結の残った軍需品の処分までまかされ、一挙に莫大な利益を得た】ウイキペディア「三菱財閥」から一部引用 三菱は定期航路の運航を休止し、社船38隻を軍事輸送に注ぎ込みます。  三菱商会はこの戦争で政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受けたばかりか、戦争終結の残った軍需品の処分までまかされ、一挙に莫大な利益を得ることになりました。政府が西南戦争で支払った戦費は4,150万円といわれていますが、そのうち1,500万円が三菱の儲けになったそうです。しかし、その裏には後藤象二郎を通じてときの最大の権力者大久保利通、大隈重信といった政府要人の後ろ盾があったことは有名です。ちなみに三井財閥は、長州閥の伊藤博文、井上馨、品川弥二郎らに肩入れして三菱に対抗していました。
日本人は知ってはいけない「天皇家の秘密」より。  1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社、日本郵船が創立されました。明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていましたが、欧米への支払いに当てる資金が日本にはありませんでした。そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与えました。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行したそうです。(福沢諭吉全集 第15巻)  このようにして三菱は戦争を利用して船事業を制覇しました。官と癒着し、上級藩士と協力して、藩(公)から民(私)へと資産を移動させ、国(幕府)や地方(藩)の資産を、自分達で使えるようにし、その巨額資産が三菱の礎というなったことです。

6.捏造された三菱の暴富の軌跡
●歴史を隠蔽&捏造した真犯人は? 坂本龍馬暗殺、三菱財閥急成長の裏事実は、歴史に登場しない。 田中光顕が幹部として深く関わっていた日本史籍協会が、1915年から1935年までの間、187冊に上る維新関係の史料類を刊行している。これが、田中光顕の創作した歴史の出所であり、多くの歴史家がこの捏造歴史に翻弄されてきた。 ここで書いた様な、三菱財閥急成長の源流は、とても大衆に受けられるものではない。 三菱グループのHPを見ると三菱財閥の歴史は美しく取繕われている。 現代は、この大衆受けする「綺麗な」歴史が共有されてしまった。 歴史小説やノンフィクション、マスコミ(NHK大河ドラマetc)、歴史教育も悉く、この捏造歴史に染められているのである。 岩崎弥太郎と田中光顕は龍馬暗殺頃から密着し、工作資金は三菱財閥(弥太郎)、政治家との関係は田中光顕といった(おぞましい)二人三脚で明治時代をのし上ってきた。 田中光顕は長寿(95)であった事も有り、この歴史捏造をやり遂げた。 財閥の中で唯一明治以降の新興勢力である三菱財閥は、日本において金貸しの手法を最先端で実践してきた。 武器商人、人身売買、政商として国家に寄生してきたのである。 そして仕上げは、歴史の捏造で、全てを美化しておく。 岩崎弥太郎と田中光顕は日本における最強の金貸しタッグだったのかもしれない。

◆まとめ
ペリー来航を皮切りに欧米列強の武力の脅しに屈し、日本が開国したわけですが、以上、振り返ってきたように、三菱・弥太郎は、
  1.金貸しの手先グラバーとの共謀
  2.三菱の財源となった「いろは丸事件」の真相
  3.官との癒着 払い下げとなった軍艦で大儲け
  4.インサイダーの走り 藩札買い占め
  5.海運業を制す
  6.捏造された三菱の暴富の軌跡
と、幕末の混乱に紛れて(それを利用して)、あらゆる手を尽くして市場を制してきました。日本の市場拡大と三菱の暴富は完全に一致しており、三菱・弥太郎が国賊と揶揄される所以です。
そして、この史実が物語っているように、市場は単独では成立せず、あくまで国家に寄生することでしか拡大しえない。それが近代国家と市場の共犯関係(構造)であると言えます。
◆市場は国家の寄生虫 市場は国家の寄生虫として拡大してきた。市場が国家の寄生虫であるということは、市場は国力の枠内(or国家の統合の枠組みの中)でしか成長できないはずである。しかし、事実はそうではない。時として、国家は無謀なる争いを繰り返し、国力を衰弱させるが、それに乗じて市場は成長していく。(十字軍しかり、現在のアメリカしかり・・)   それは、商人たちが金貸しとして、国家に戦争をするようにそそのかし、国家相手に金を貸し、骨の髄まで国家から財を奪い取っていったからに他ならない。彼らは、戦争や革命をそそのかしては、武器を売り、金を貸し成長してきた。本物の金貸しは庶民相手に金を貸すなどというちっぽけな商売をする連中のことではない。『金貸しは国家を相手に金を貸す』この仕掛けこそが、金貸しの存在構造であり、市場拡大の秘密である。

三菱・弥太郎、紛れもなく「金貸しの代理人」認定です。

2014年1月5日日曜日

リサイクル


正月の雑煮に使われ、残った豚肉や鳥のぶつなどが冷蔵庫に散乱しているのでまとめて味噌付けにし保存時間を延ばします。

味噌は3種の合わせみりん・酒を入れて伸ばします。
これで、後は思いだしたときに頂きます。




2014年1月4日土曜日

続篇

資力が武力を上回ったのはなんで?(3)~武力が制覇力になりえなくなった時~

☆☆☆☆☆ 新年  明けまして おめでとうございます  m034 m034
☆☆☆☆☆ 今年が皆さまにとって良い年になりますように  m135 m135
☆☆☆☆☆ そして当ブログを今年も可愛がってくださいませ  m106 m106
 
さて、このシリーズでは、「資力が武力を上回ったのはなんで?」を扱っています。これまでの記事はこちらです。
(0)プロローグ
是非、どうぞ m030 m030 今回はスイスが世界に与えた影響について扱っていきます。
%E5%82%AD%E5%85%B5103.jpg 1291年にスイスは独立国家として誕生しましたが、険しい土地ゆえに耕作面積も少なく、国家を維持するには出稼ぎに出て外貨を稼ぐしか手がありませんでした。
 そこでスイスは、1314年モルガルデンの戦いで広まった“強いスイス軍”の評判を追い風に、傭兵産業を確立させます。これは前回記事でも取り上げましたが、周辺国と武力協力することで、負け組でありながら、生きながらえる戦略でもありました。それでいて外貨を稼ぐ立派な産業だったのです。
 もちろんそれまでに“傭兵”は存在していましたが、おそらく“あぶれもの”が中心だったでしょう。したがって、“腕っぷし”と国家産業としての“信用力”を兼ね備えた兵ですから、他国にとっては有難い供給源だったと思われます。
 日本で“傭兵”というと雇われ兵士で、小規模なイメージですが、さすがヨーロッパはスケールが違います。スイスのお膝元であるイタリアが傭兵の活躍の場でしたが、軍隊のほとんどが傭兵という例もあるそうです。そしてその暴れっぷりの様子が、ブログ「傭兵たちの略奪」の記事に記載されていましたので、紹介します。
 
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ポチッとありがとうございました m021 m023
 
それでは記事を紹介します。
 
1.傭兵たちが活躍する時代
  ヨーロッパ史上、戦争の主体に傭兵が使われた時代があった。具体的には12世紀、十字軍によって騎士の没落が始まったころから、17世紀フランスに絶対王制が確立するまでである。最も早く傭兵主体となったのはイタリアで、各都市国家相互の戦争の際に傭兵が活躍した。傭兵隊長の支配を受けるまでになった国もあった。
 傭兵の発達は、武器・鎧の発達と同時に進行した。傭兵はクロスボウやパイクを使用し、騎兵を無力化した。騎兵がいかに馬の突進力を利用できるとはいっても、遠距離から飛んでくるクロスボウの矢や歩兵が方陣をくんで構えるパイク(長槍)には太刀打ちできなかった。
 特に、クロスボウの登場は戦争そのものに変革をもたらした。クロスボウは機械仕掛けの弓で、大した訓練もなく誰でも使えるという特徴を持っている。民衆をかき集め、クロスボウを与えたらそれだけで立派な戦闘部隊となるのである。これは、それまでの、戦争=金がかかる、よって軍事階級=富裕という数式を覆すこととなった。
 史上、クロスボウ部隊が騎士たちを敗走させた例としては、1477年のナンシーの戦いが名高い。この戦いにおいて、ブルゴーニュ公シャルル(勇猛公)はスイスの農民軍のために敗死した。戦争における騎士の意義を覆す大事件であった。
 だが、傭兵の戦争としてもっとも名高いのは、やはりドイツ三十年戦争であろう。
ドイツ三十年戦争は、1618年から1648年までドイツを舞台として行われた一連の戦争である。この戦争でドイツ全土とくに北ドイツは傭兵たちの掠奪に晒され、人口は大幅に減少した。
%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%82%A6103.jpg それまでの戦争は、『 やあ、やあ、我こそは、・・・。 』と、自己紹介から始まり、敵を“騎士”として敬う騎士道に貫かれていました。毛並みの良い馬に跨り、美しいデザインの施された甲冑を纏い、これまた装飾された剣を持つ騎士は、貴族の象徴でもあり憧れの的でした。戦争というより決闘に近く、様式化されたものでした。
 しかしクロスボウの登場で、戦争はまさに殺し合いとなり、国家成立以前の無秩序の掠奪闘争時代に逆戻りしてしまったのです。では続きをどうぞ m030
 
2.傭兵主体の軍隊の様相
この時代の軍隊は、明らかに現在と様相を異にしていた。
 三十年戦争における傭兵の悪名は高い。その通ったあとには草一本残らないと言われるほどのものである。だが、それは単に傭兵たちのせいだけではなかった。
 傭兵たちのあとには、その妻、子供、召使い、御者、売春婦などからなる巨大な「輜重隊(しちょうたい:軍需品を調達する部隊)」が付き従ったのである。その数はおよそ傭兵の2~3倍に及び、さらに彼らを養うための本職の「掠奪屋」たちがつきまとっていた。
「4万人の軍はとてつもない量の武器、食料、最も重要な各部隊の象徴である中隊旗などの装具を必要とした。更に、兵士たちは糧食を支給されなければならなかった……1日ごとに約1キロのパン、1ポンドの肉、3リットルのビール、を。これらの基準量から推定すると、当然しばしば少なくてすんだのだが、4万人のために毎日800ツェントナー(4万kg)のパンを焼き、400ツェントナー(2万kg)の肉を家畜からばらし、120キロリットルのビールを飲ませなければならなかった。そのために、日に少なくとも100頭の雄牛と2400個の50リットル樽入りビールが必要だった。しかし、馬もまた、近々肉を提供することになる雄牛と同様、食べることを欲した。25000頭の家畜が軍とともに行進することは通例であり必然的だった。」
 これらの傭兵を核とする「集団」(軍隊と呼ぶには躊躇せざるを得ない)を目当てに、たくさんの商人も集まってきた。彼らは酒保商人(Marketender、独)と呼ばれ、食料はもちろん武器すら自分で都合しなければならない傭兵たちにそれらを提供する役を果たした。
 酒保商人たちは君主によって保護されていた。理由は簡単で、もし酒保商人がいなくなれば軍は飢え、役に立たないどころか反乱を起こされるかも知れなかったからである。
 さて、ここで重要なことに注意を向けよう。
 略奪品は食物とは限らない。家畜などのこともあるが、そのまま食べることが出来る量は非常に限られている。
 給与(いつ払われるかさえ怪しかったものだが。君主は最初から掠奪を見込んで少な目に給与を設定したとも言われている。)は貨幣で支払われる。
 一方、兵士は自前で装備を買わねばならず、妻や子供を引き連れている。
 ここから導き出される結論は、「傭兵は、略奪品を売らねばならなかった」である。もちろん、買い手は酒保商人である。
 そこに現出したのは、酒保商人による買い手市場である。傭兵にとっては、まず略奪品を買って貰わねば困るのだ。彼らは君主の保護もあって、相当安く買いたたいた。
 酒保商人の手に渡ったそれらの略奪品は、街などで売り払われた。傭兵が行ったことは、ある人の持っていたものを他に譲渡したといってもよいような行為だったのである。(後略)
%E8%BB%8D%E9%9A%8A103.jpg 傭兵の実態とは、掠奪集団と呼ぶにはあまりに巨大で、バラバラな寄せ集めだったのです。もちろん傭兵による戦争が、最初からこのような状況だったわけではなく、いわば末期状態と思われます。ですが、大きくはスイスが確立した傭兵という兵隊輸出産業の拡大発達によって、ヨーロッパにおける勢力分布図の変化に大きな影響を与えました。
 この時代では自国の武力に自信のない国は、例え借金でも金さえあれば傭兵をかき集めることができ、時間を置かず武力を上昇させることができたのです。そしてそのため、各国における武力の差は小さくなり、必然的に戦争は長期化していきます。結果として戦争で勝っても、負けても田畑や街は荒れ、国家としては疲弊するばかりで、戦争(略奪)が私権獲得の手法としては、ほとんど機能しなくなったと考えられます。
 あくまでヨーロッパに限定されますが、
スイスの確立した傭兵産業がもたらした各国の武力均等化の流れは、武力が他国を制覇する力になり得なくなってきたこと
を意味します。
 この不全状況を突破する打開していく大航海時代を次の記事で扱っていきます。

2014年1月3日金曜日

軍国化?

<時代を読む>意図無ければ罪も無しか 浜 矩子東京新聞 12月29日

 「もとより、中国あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」。十二月二十六日、靖国神社参拝後に安倍晋三首相がこういった。
 この発言を含む首相談話の英語版が、首相官邸のホームページに掲載されている。上記の英語バージョンは次のとおりだ。
 It is not my intention at all to hurt the feelings of the Chinese and Korean people.
 日本語の「考えは毛頭ない」に相当する部分が It is not my intention at all の個所だ。 intention は「意志」あるいは「意図」の意味だ。
 「そんな意志は全くございません」「そのようなことは、全然意図しておりません」。こういう言い方を聞くと、たちどころに歯が浮いてかなわない。実に誠意がない。こんなふうにうそぶく人々は、およそ、何をたくらんでいるか分からない。実に腹立たしい。
 意図してさえいなければ、どんな結果を招いていてもいいというのか。許されるというのか。こちらに傷つける意図がなければ、相手は決して傷つかないとでも思うのか。あるいは、こっちが意図していないなら、傷つく方が悪いというのか。勝手に傷つくなら、致し方ない。知ったことか。そういうことなのか。
 この種の発言で突っ走って行く人は、やがて、つぎのようにいうようになる。「そんなつもりじゃなかったんです」。これが出た時は、もう手遅れだ。取り返しのつかないところまで、相手を傷つけてしまっているのである。
 意図が無ければ罪はない。意図が良ければ、悪くない。傷つける意図無き者は、決して相手を傷つけない。これが大人のいうことか。
 人の足を目いっぱい踏みつけても、意図がなければ、相手は痛がらないのか。相手がいくら痛がっていても、「だって知らなかったんだもん」と舌を出してそっぽを向くのか。その気が無ければ、人を車でひき殺しても、相手は死なないとでも言うのか。こちらにその気が無ければ、相手はひき殺されても仕方がないのか。
 かくも幼児的感覚で、政治が執り行われていいのか。政策が形成されていいのか。
 子どもと大人の最大の違いは、どこにあると考えるか。答えは明らかだ。それは、人の痛みが分かるか否かにある。新生児には、人の痛みが全く分からない。そこから出発して、人間は次第に人の思いに心を配るようになる。そして願わくば、人の痛みを自分の痛みとして受け止めることができるようになる。そのような魂の力こそ、大人の力だ。
 皆さんはアダム・スミスをご存じだろう。経済学の生みの親だ。大著「国富論」の著者だ。彼はまた、「道徳感情論」の著者でもある。
 「道徳感情論」あっての「国富論」だった。そのようにいわれる。経済活動は、道徳的感情に根差していなければならない。ざっくりいえば、そのような理念に基づく書だ。
 その中で、スミス先生は次のように言っている。「我々は、他者の悲しみを目の当たりにして、しばしば悲しみを感じる。…このような感情は、何も高潔で人間性あふれる人々に限ったものではない…。最大級の悪者で、最も平然と社会の秩序を踏みにじるヤカラでさえ、このような感情と無縁ではない」(翻訳筆者)。そのはずだと思う。そう思いたい。だが、今、そこがかなり心配になって来ている。信仰厚きスミス先生、どうか、我らのために祈りたまえ。

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<参照>

「死にゆく兵たちが『靖国で会おう』などと語り合うなんて、実際の戦場ではありえない美談。あるのは、ただ悲惨な死だけだった。」

補給を無視した作戦で多くの戦死・餓死者が出た太平洋戦争のインパール作戦で死線をさまよった、山崎教興さん(92)〔中日新聞12月27日から〕。

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藤原彰著「餓死(うえじに)した英霊たち」(青木書店)http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/minpou/minpou2001/minpou2001.8.19/newpage4.htm

http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/uejinisitaeireitati.jpg アジア太平洋戦争で戦没した日本軍人の総数は約230万人といわれています。
 なんと、その6割以上の140万人前後が戦闘行動による戦死ではなく、餓死もしくは飢餓による病死であったのです。
 食糧補給を無視した無謀な戦争拡大で、飢餓地獄の中で野垂れ死にした実態が解明されています。
 ガダルカナル島の戦いは、戦没者11万8700人のうち、9割の9万3500人が餓死、及び栄養失調・薬品不足のためのマラリアによる病死です。
 ポートモレスビー攻略戦とニューギニアの第18軍の戦没者12万7600人のうち、9割以上の11万5千人、インパール作戦では78%以上の14万5千人が餓死。中部太平洋の孤島で置き去りにされた半数の12万5千人が餓死・病死です。
 戦場で最も多い50万人の戦没者を出したフィリピン戦では8割以上の40万人が餓死。
 中国戦線の戦没者はそれに次いで45万5700人ですが、その半数の22万7800人が栄養失調に起因するマラリア、赤痢、脚気による病死です。
 多数の若者が飢えと病気にさいなまれ、痩せ衰えて無念の涙をのみながら、密林の中で野垂れ死にしていきました。
 その原因が、食糧補給も考えない、やみくもの出兵。孤立した兵士は餓死か玉砕を迫られました。
 独断横暴な日本軍指導部による無茶苦茶な作戦の強制です。
 旧日本軍のむごたらしさが告発されています。

餓死(うえじに)した英霊たち [単行本](Amazon)http://www.amazon.co.jp/%E9%A4%93%E6%AD%BB-%E3%81%86%E3%81%88%E3%81%98%E3%81%AB-%E3%81%97%E3%81%9F%E8%8B%B1%E9%9C%8A%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E5%BD%B0/dp/4250201155

金貸し家の世界

新年早々故、明るい未来を描ければと思っていたのですが、米国債デフォルトを巡る状況をつぶさに見ていくと、どうもそうも言ってはいられません。
 
逆に、とっても恐ろしい未来が待ち受けているのではないか?という結論に達してしまいます。
 
前回の記事『アメリカは世界支配に向けた壮大な実験場!?』では、ロスチャイルドが画策する米国債デフォルトとは、実は世界支配に向けた布石で、アメリカはそのための実験場にされているのでは!?という大胆な仮説を立てました。
 
その背景には、国家に巣食った中央銀行制度は、国家の借金を増大させ返済不能に陥り、さらには、国家の存続さえ危うくさせる。つまり、共倒れにならざるを得ないという構造があるからです。
  
さらに、その根底には、人間の欲望は際限がない=物的需要は永続的につくり出されるという経済理論が、消費欠乏の衰弱という人々の意識という現実により崩れ去ったことにあります。
  
そして、それに気付いた金貸し、現在の主力はロスチャイルドですが、それまでのシステムを考え直さなければならない事態に陥っています。
  
また、リーマンショック前夜から始まった、(戦争への道を半ば閉ざされ)金融世界に食指を伸ばしてきたロックフェラーに対し、それを迎え撃ったロスチャイルドとの戦いにより、それまで門外不出であった双方の国家支配の手口が、敵対し合う双方からのリーク:暴露という形で、主にインターネットを通じて広がり、彼らの存在と支配の仕組みが、一般庶民に明らかにされつつある状況は、彼らの危機意識を相当高めていることは容易に推測できることです。
 
彼らが最も恐れることは、集団としてまとまり対抗してくることです。
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彼らが庶民を支配するやり方は、羊の群れのように、牙のない家畜として、個々がバラバラの状態にしておくことで一貫しています。
 
m281 武力支配国家では、国家の中枢の人間を動かし、領土を拡大、力で支配し、庶民から搾取してきました。
 
m282 民主主義国家になると、国家の中枢からさらにその下の学者や官僚、マスコミまでを支配下に広げ、キリスト教とそこから派生してきた個人主義思想を植え付けることで、間接支配を行ってきました。
 
個人の利害関係や趣味・嗜好という狭い枠組みに押し込める洗脳教育(公教育)を国家単位で行い、全体に目を向けない=お上に歯向かう意識を根絶→従順な個人(迷える子羊)を作り上げて来たのです。
公教育の本質は、【調教】にあるのでは!?
 
m283 そして現代、その様相が一変したのは、特に日本に於いてです。‘70年貧困の消滅を契機に、徐々に私権衰弱を引起し、それと合せて、自分から仲間への意識転換、つまり(人間としての)本源回帰により、私権原理から共認原理への大転換が進んで、周りのみんなの意識、つまり現実はどうなっているのか?に目を向け出したのです。
 
この動きは、徐々に世界にも広がっていきます。
戦争忌避の動き、南米等の反米意識の高揚、そして、自己中心的な行動に対する否定意識、そさらに、MOTTAINAIや震災を通じての日本人の意識への注目度の高まり等により、共認原理が世界に広まっていっている傾向にあります。
 
そういう状況で、上記のリーク合戦により、彼らの手口が一般庶民に認知され、その事実を持って繋がっていくという流れが強くなっていっています。
その表れが、世界的なデフレ基調です。いくら中央銀行→国家が市場にお金をジャブジャブと注ぎ込んでも、それが廻らない。借金ばかりが増え、それが国家に重くのしかかり、国家事態の存亡が危ぶまれている。このことは、先にも述べましたが、このパラダイム転換ともいえる時代に、金貸し連中も別の方向へ舵を切らざるを得ない状況になったと思われます。
 
1】そこでまず、金貸しが考えた(のでは?と推測できる)ことは、まず、真実が暴露してしまうリーク合戦に終止符を打つことだと思われます。
その動きは、プロローグでも紹介したように、ロスチャイルドがロックフェラーを支配下に納めたということではないかと思われます。
年老いて体力・精神力等を失い、かつ、覇権争いから親族までをもこの世から排除してきたために、その後継者をも失い孤立したデビッド・ロックフェラーでは、ロスチャイルド→実際には親を殺された甥っ子のジェイ・ロックフェラーには敵うはずがありません。
実際に、アメリカで行われているマイクロ・チップやスマートメーター等はロックフェラーが画策していたようですが、それをそのままロスチャイルドが利用しているようにも思えます。
“ロックフェラー”は何を考えているか
 
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こちらより拝借しました

2】次に、それまで漏洩した事実を隠ぺいする工作として、アメリカ、日本で法制化された秘密保護法を制定しました。
これにより、それまでの“秘密”がこれ以上広がらないようにすることと、今後の仕掛けを知られないようにする方策に打ってでたということではないでしょうか!?
3】彼らの元々の目的は、“金儲け”ではなく、“支配”にあります。
 
支配のためにお金が必要であった時代が去り、共認原理の時代にパラダイムがシフトしたことにより、当初の根幹の目的が露出してきたと思われます。
それが、先の共認形成を直接的に封じる手立て、そして、次に、その動きを察知し、その動きを阻止する手法として、マイクロチップを人々に埋め込み、直接監視→支配を行おうとする動き。或いは、スマートメーターの家庭への導入で、IT時代のインフラともいうべき電力供給をコントロールし、時には、それを使って攻撃に転じることができる兵器としての装置を布設してくことだと思われます。
4】国家と共倒れする中央銀行を断念し、世界中央銀行の画策への動きか!?
前投稿でも触れましたが、世界統一通貨の構想は、25年も前からありました。
新世界通貨 ''フェニックス'' 構想の裏づけは金 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=193036
それが、4年前からビットコインというインターネット上の仮想通貨が登場し、どうも統一通貨はこのビットコインになるのではないか?と思われます。
ロスチャイルドは前々から「金を支配する者が世界を支配できる」としており、このビットコインもそれまでの通貨とはことなり、流通量が有限で、その生成の仕方や、細かく分割できる等の性格が金とそっくりである(生成を採掘と呼んでいる)こと、ロスチャイルドが近年、金をかき集めていること等から、ビットコインを金とリンクさせ、流通させようともくろんでいるのではないか?と考えられます。
中央銀行支配からの脱却(5)~ビットコインは次代の通貨になりえるか?~
このビットコインの特徴は、この通貨そのものに、流通経緯が情報としてインプットされており、(匿名ですが)お金の流れや動きを押えることができるのです。
これにより、先のIT化による支配が完成するのです。
そしてそれは、前投稿でも触れましたが、中央銀行、そしてその寄生先の国家をも介さない、まったく新しい支配体制になるのです。
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こちらより拝借しました
 
5】次に、市場はどうか?を見ると、今世界中を騒がせているTPPによる関税撤廃も、実は、国家を介さない支配体制ということになります。
TPPとは一言で言うと、グローバル企業が国の関与を受けずに、自分達の都合のいいような市場を形成することです。
その600社の布陣もロスチャイルド、ロックフェラー系企業が呉越同舟仲良く参画しています。
外国市場での障壁撤廃のため、
TPP交渉を通して米国企業に対する強い保護と最大限の市場アクセスを求めるよう
米国政府に要求した「TPPのための米国企業連合」一覧
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こちらより拝借しました
 
1】~5】を見ていくと、これは正にロスチャイルドによる世界支配の総まとめというべきもので、共認原理の時代が本格化する前に、共認の基を根絶する壮大な作戦として見て取れるのではないでしょうか?
 
これは、金貸しにとっても、現実直視のパラダイム転換で、まったく新しい支配体制の構築に動いていることになります。
そうなると本当に、それまで、闇でいろいろ手間隙掛けて操っていた国家等どうでもよくなり、直接分り易い形で国家をも支配してしまうというとんでもない方向へ舵を切っていると捉えられます。
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こちらより拝借しました
もしこれが本当であれば、日本は基より、世界が、本当にヤバイ、恐ろしいことになってしまいます。
 
これを阻止する術はないものか?
 
可能性としては、これまでの動きは、かなり性急に行われてきており、どこかにそのボロが隠されていることはないか?
 
国家ではなく、(グローバル)企業主体で、企業同士の戦いとなり、それまでの国同士の戦いではまったく可能性を感じなかったことから比べると、現実直視の企業に、可能性はないのか?
 
共認原理に突入する時代で、力ずくで共認封鎖をするということは、その意図とは裏腹に、返って共認を高め、彼らに対抗する直接的な契機となるのではないか?
これは、彼らが最も恐れる、集団で歯向かってくることになる!
 
次回以降は、これらの可能性について、扱っていきます。
ご期待 m034 ください。 tikara

2014年1月2日木曜日

経済動向

ヨーロッパの文献で中国が初登場するのは「エリュトゥラー海案内記」です。

インド洋に吹く季節風を利用した遠洋航行で海上貿易が始まったこの頃(西暦1世紀中頃)から、グローバリゼーションは始まっています。インドからは胡椒・綿布・象牙細工などが輸出され、ローマやギリシャからは陶器、ガラス器、酒、金貨など輸出されています。西洋から輸出するものよりも東洋から輸入するものほうが多いので、西洋諸国は慢性的に赤字でした。インドへの金貨流出が当時のローマ経済にとって大問題であったことが、エリュトゥラー海案内記に記されています。
この傾向は近代や現代になってからも同じでした。
貿易不均衡による歪みを修正するために、最終的には強制的な対外債務の踏倒しが行われたりしてきました。
インドからの綿花や香辛料やお茶の輸入が増える一方なのに、インドに対して輸出するものがほとんどなかったイギリスは、最後にはそれをごまかすためにインドを植民地しました。
基軸通貨特権を利用して労せず他国の資源や労働を買い占めることに慣れて製造業が衰退し貿易赤字になったアメリカは、戦争ばかりしているので財政債務も膨らみました。そのため、ドルの信用が失墜しその先安観が顕著になると、フランスなどはドルと金の交換を要求するようになりました。アメリカは第二次大戦を利用して世界中の金を集めていましたが、今度はその金の流出におびえることになります。そこで、ニクソンショックで金の兌換を中止しました。
金が野蛮な通貨で価値がないとFRBやアメリカがいうのなら、兌換を停止する必要もなく、すべて放出すればいいのです。アメリカが公には金の保有量を維持していることはF建前とは逆に金の価値を認めていることを意味しています。

西洋から東洋への金流出の流れ、西洋の借金の踏倒しという歴史上のパターンは今年も繰り返されたといえます。
アメリカは量的緩和でドルを希薄化させ、既存の債権者からの借金を実質的に棒引きしようとしました。
これに対して、アメリカの最大の債権者である中国などがいかに対応するかが今年のテーマだったと思います。

リーマン・ショック直後はリスクオフのドルキャリーの巻き戻しでドルは上昇しました。しかし、そのレパトリが一巡した後は、ドルはアメリカの実体経済の弱さと量的金融緩和による希薄化を嫌気して売られ始めました。
しかし、2012年にはユーロ危機が発生してドルの下落が止まりました。
ドルの下落に合わせるように買われていた金の上昇も止まりました。安全資産である金がユーロ危機で売られたことから、金の安全資産として役割が終わったとかいうピントのずれた意見もありましたが、金の本質は通貨です。ドルの代替通貨である金はユーロ危機によるユーロ売り(それはドル買いになる)に合わせて売られたのです。安全資産としての側面よりもドルの代替通貨としての側面のほうがより金価格にとって重要です。
もっともユーロ危機は大げさに騒ぎ過ぎでした。その証拠に2013年の先進国の株式市場でもっともパフォーマンスがよかったのはギリシャです。
ユーロ危機が落ち着いたことでユーロ売りが止まり、再びドル売りの長期トレンドに戻ったことで、金価格も上昇を再開しました。
そして、QE3がはじまったことで、再び、2000ドル超えを目指し始めました。
欧州危機の時は、金は株などのリスク資産と正の相関で連動して動いていましたが、QE3開始後は、袂を分かつことになります。金価格は上昇が継続しました、ダウは売られました。
しかし、衆議院解散が決まり、アベノミクスが始まってから流れが変わります。
今まで売られていたドルが円売りによって生き返ります。それに合わせて金は少しずつ売られ、逆に円キャリートレードで株が上げ始めました。
それでも、2013年年初は、まだまだ。投資銀行などの2013年の金価格見通しは、総じて強気でした。
もっとも2月ぐらいからすこしずつ金の弱気の予想が出始めます。
そして、おおきく流れが変わったのが3月です。
中国が猛烈な勢いで金を輸入し始めます。
4月になると欧米の投資銀行の金価格予想の格下げが続出します。そして弱気なセンチメントになったところで、狼狽売りとテクニカル売買のストップロスを狙った、大量の売りを仕掛けが発生します。この4月の金暴落によるバーゲンセールに中国の怒涛の現物買いが、群がります。
3月の大量輸入はこの4月の現物需要に対応するため事前に仕込まれたものと推測します。
スパイダーの金ETFの保管庫はイギリスにあります。価格下落により金ETFの保管庫から流出した金は、スイスに輸出されて、そこでアジア向けに鋳造し直されます。そして、香港経由で上海に流れます。そこから陸続きのインドにも密輸で相当数が流れたと思います。
中国人民銀行が、今年のはじめ人民元の為替レートの目標を3%の元高に設定しました。中国は経常黒字で得た大量のドルをドル債券として保有しています。仮にドル債券の価格に変動がなかったとしても、既に保有するドル債券に1年で3%の為替差損が発生することになります。中国は、ドルで世界中の不動産、インフラ資産、天然資源、などの現物資産や株を買占めたり、ユーロ建ての資産を増やしたりしてポートフォリオを分散したり、ドル売りヘッジをいれていると思いますが、それだけでは不十分です。
中国は、人民元切り上げとドル債を購入を今後も継続することの補填として米に現物の金を要求したのかもしれません。

4月に暴落した金ですが、中国の旺盛なバーゲン買いの報道などで下げ止まりました。そして、夏になり、現物需要のレポートで現物金の需要が実際強かったことが確認されたことでリバウンドを開始します。
さらに、シリア問題が発生して金は安全資産としての機能が失われていないことを証明します。
しかし、シリア問題が解決すると、金は再び下げはじめます。
その後のアメリカ財政問題では安全資産として機能しませんでした。
そして、想定されるリスクシナリオが消え、アメリカのGDPや雇用統計などの指標が改善し、QE縮小が決定したことで、金市場は完全に弱気一色になってしまいました。
アメリカの景気回復とQE縮小によってドルの信認が戻るというシナリオがドルの代替通貨としての金の魅力を失わせるという思惑です。
しかし、結局、QE縮小が決定したあとも、ドルの信認は戻っていません。
円は今年安値引けで、円からみればドルは強いように思えますが、ユーロや人民元に対してドルは結局、今年は安値引けで終わりました。

ドル安かドル高かをみるものさしとしては、それぞれの通貨ペアや、ドルインデックス、為替実行レートなどがありますが、決定的に重要なのはユーロドルとドル人民元です。ドル円を含め、その他の通貨はノイズにすぎません。
アメリカとユーロはGDPでほぼ同じです。
欧州の先進国は、日本やアメリカ同様、構造的に成長が止まっていますが、それを日本やアメリカのように無理にバブルを利用して成長路線に戻そうとしていないため(相対的に)、今後の経済の持続性はユーロのほうがアメリカよりもあると思われます。
アメリカと違い、ユーロはGDP比の債務が少ないです。イタリアなどはプライマリーバランスが黒字です。実業がしっかりしているので輸出企業が強く経常黒字です。通貨の担保になる公的保有の金もイギリスやアメリカや日本よりも多いです。マネタリーベースの増加はドルよりはるやか緩やかです。フランスなどは人口動態もいいです。ラトビアがユーロに参加するなど、東欧諸国に通貨圏を拡大しています。先進国としての側面だけでなく、新興国的な成長の伸びしろもあります。アメリカよりも新興国に企業が多く進出しているので新興国の成長の恩恵も受けます。これから成長するアジア諸国と陸続きのユーラシア大陸にあり、資本主義最後の市場のアフリカに近いことで、アメリカより地の利があります。
目先の形式上の景気指標が、アメリカのほうがユーロ圏よりいいという理由だけでドルが買われるとかいうのはピントのずれた意見だと思います。

今までドルを大量にばらまいてきているので、QEを少しぐらい縮小したり、景気循環の底から自然反発で多少景気が回復したりする今のアメリカの状況程度ではドルの信認は戻らなかいと思います。
金利も上昇を開始しています。アメリカのインフレ率と成長率からすると長期金利3.5%ぐらいまでは正常とみることもできますが、それを超えてくるとリスクプレミアムやインフレリスクが高まってきます。

中国の今年の貿易額は4兆米ドルを突破し、米国を抜いて世界1位の貿易大国になりました。
中国は米国を抜いて世界1位の貿易大国へ、今年の貿易額は4兆米ドルを突破も
先進国間の貿易は減少傾向です。一方、新興国間は増加傾向にあります。先進国と新興国間は微増です。
今年は経済ニュースを見ていると。新興国の成長が止まり、先進国が復活したという印象を受けますが、それはあくまでウォールストリートや資本家が保有するマスメディアとそのおかかえのエコノミストの中だけの話のようです。メインストリートの実体経済の流れは違うようです。
ジム・オニール:2013年で一番重要なチャート
これから、ドルの基軸通貨としての凋落は不可避ですが、これと相反するように人民元はそのプレゼンスをますます増していくと思われます。

中国は2014年までに人民元を自由化するとしています。このため、2014年は2013年の3%を超えるスピードでドル安人民元高を許容するようになると思います。そうなると。ドル債の金利上昇のスピードは2013年よりさらに加速していく可能性があります。介入によるドル買いが減り、ドル債買いが減るからです。
金利上昇のピッチが早くなっていくと、金利上昇はアメリカ経済の回復による正常化とかいう楽観的な見方もじょじょに減っていくと思います。
また、株も、手数料の高いヘッジファンドなどから、ETFを利用したパッシブ(インデックス)運用にマネーのシフトが急ピッチにすすんでいます。
これは零細の個人投資家が直接株を買っていることを意味します。群衆心理でパニックになったときバブルの崩壊は激しくなる可能性があります。
量的緩和のマネーは、実体経済にほとんど流れてきていません。資産効果のトリクルダウン効果は非常に限定的です。銀行貸出、給与所得、個人消費、設備投資、輸出量が増えないのはアメリカも日本も同じです。輸入インフレと増税を原因とする悪質なインフレ期待を除けば需要がないのでデフレ圧力が強いです。企業業績という実体経済の裏付けのない株価上昇はバブルであり、持続性はなく、いつかは破裂します。
株式市場も不動産市場も債券市場もダメ、キャッシュで保有しても円安、ドル安が進むとなると消去法で金が見直されてくると思われます。
YOUNG BLOODS 佐野元春

元旦のFly-In